株式会社NO BORDER代表取締役。社団法人自由報道協会代表。元ジャーナリスト。1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。テレビ局記者、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者、フリージャーナリストなどを経て現在に至る。著書に『石原慎太郎「5人の参謀」』 『田中真紀子の恩讐』 『議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている』 『田中真紀子の正体』 『小泉の勝利 メディアの敗北』 『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』 『ジャーナリズム崩壊』 『宰相不在―崩壊する政治とメディアを読み解く』 『世襲議員のからくり』 『民主党政権は日本をどう変えるのか』 『政権交代の内幕』 『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』 『暴走検察』 『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか』 『上杉隆の40字で答えなさい~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~』 『結果を求めない生き方
最近の「富士山噴火」のニュースに接して再び思い出した。 そういえば、5年前、ダイヤモンドオンライン(http://diamond.jp/articles/-/6080)で記事を書いた時も同じ心境に駆られた。 いったい日本の言論空間、とくにメディアはなぜこうも遅れ、幼稚で、そしてアンフェアなのだろうか。 「富士山噴火」について、5年前の記事を再掲しよう。 ※ 週刊新潮の記事(「特別読物」300年前の悪夢「富士山」宝永の大噴火)を読んで、約15年前の出来事を思い出してしまった。 〈「この1万年の中で富士山は100回以上の噴火が起こっているが、空高く噴き上がるほどの大噴火は3、4例しかない。その1つが宝永の噴火で、非常に大規模なものです」と語るのは東大名誉教授で富士山ハザードマップ検討委員会委員長の荒牧重雄氏――(略)〉(週刊新潮/12月13日号) 宝永の大噴火は1707年12月、今からちょうど
2012.02.26 火山学の権威・鎌田浩毅京都大学教授の寄稿~「富士山は100%噴火する」 サンデー毎日 2012/03/04号 カテゴリ:ニュース ■20世紀以降はM9地震の後に噴火 1703年に元禄関東地震(M8・3)が起き、その35日後に富士山が鳴動を始めたのです。さらに4年後には、宝永地震(M8・6)が発生しました。この宝永地震は先に述べたような数百年おきにやってくる「三連動地震」に一つです。 その宝永地震の49日後に、富士山は南東斜面からマグマを噴出し、江戸の街に大量の火山灰を降らせたのです。新幹線の車窓から富士山を見ると、中腹にぽっかりと大きな穴が開いていることに気付きます。これはそのときに開けた火口で、宝永火口と呼ばれています。1707年の噴火は、富士山の歴史で最大級の大噴火でした。 宝永噴火では、直前に起きた二つの巨大地震が、地下のマグマだまりに何らかの影響を与えたと考え
まず、中国人に「天皇家は万世一系ではない」と言われたらどう思いますか? - 模型とかキャラ弁とか歴史とかについて。 読解できる人には読解できているでしょうが、この文は南京事件についてお気楽に「30万人はありえない」と言う人々、そのように言うことで加害国としての自国の歴史を自省するどころかむしろ中国人蔑視に用いるような人々に自らの心性の醜さを自覚してもらうための文として書きました。 無論、それは学問の問題ではありません。そのような種類の発言を行う人々自身の心のあり方を問うているわけです。 そして、そういう文が平易な文であっても理解拒否されること自体は想定内でした。しかし、理解できない人の全てがそういう人というわけでもないでしょう。現代の教科書問題に関する前提知識を共有していないがゆえにその題材がなぜ万世一系なのかを理解できない人もいただろうと思いますし、そもそもこの文の対象となる種類の人々が
約16年かけて作成した5つのカテゴリ全88ページの興味深い世界地図と緻密な情報源 【 下記、個別記事( 青色文字 )のリンクから興味のあるページを選択 】 安全快適の指標を視覚化した多彩な世界地図で海外移住に適した国が一目瞭然 「 清浄な環境 」 「 健康 」 「 安全 」を真摯に希求する人に役立つ多彩な知見を集約 海外移住・海外進出・留学の国選びに役立つ情報と世界地図をまとめた地図帳 世界には、いろいろな種類の言語 ( 言葉 ) があります。 海外移住に必要な語学、移住する国の公用語、外国の言語など、言語に関する興味深い情報のほか、言語で性格や人格が変わる?、言語の人格や性格への影響や、ダブル リミテッド・セミ リンガル、言語の周波数、日本語の特異性 ( 日本語と右脳と左脳 ) など興味深い情報も紹介。 言語の世界地図 [ 出典 ] 「 Tedopres International 」サ
. 『 故 郷 』 島崎藤村は、郷里の神坂小学校で 記念講演をしたことがある。 近郷から集まった人々で、小学校の講堂は あふれるほどだったという。 ところが、壇上にたった藤村は、深沈としてうなだれたまま 一言も発しようとはしない。 集まった人々が、沈黙の時間の長いことにざわつき始めた。 その時、藤村は低音でなにか言った。 瞬間静まった聴衆が聴いた言葉は、たった三行だった。 血に つながる ふるさと 心に つながる ふるさと 言葉に つながる ふるさと ・・・・・少し間を置いて 私は 『 春 』 という言葉の意味がわかるようになるまでに 十年間を 費やしました。 と、つけくわえた。 ただ、それだけのことだったが、しばらくする、講堂のあちこちからすすり泣きの声が起こったという。 十年ほど前、テノール歌手の佐野成宏が、生まれ故郷の伊那谷で記念演奏会を行った。 イタリアに住み、ヨーロッパ各地で 多
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く