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Hate speechとThoughtに関するHODGEのブックマーク (10)

  • 近代以降の反ユダヤ主義(Antisemitismus)についてのメモ - Danas je lep dan.

    的に,前近代の反ユダヤ主義と近代のそれとの間には,連続もあるにせよ,大きな質的転換がみられる。 前近代,特に中世のそれは,キリスト教と相容れない異教徒への迫害として位置づけられる。また,彼らの独自な生活習慣なども排撃の対象となった。ユダヤ教徒の衛生観念のゆえに伝染病への罹患率が低かったことが,彼らが病気の原因であるとのデマを生むこともあった。 だが,近代以降のそれは違う。勿論その構成要素には,「儀式殺人」という中傷のように*1,前近代から連続するものもあったろうが,近代に入り,反ユダヤ主義はふたつの方面で前近代のそれと乖離しはじめる。 ひとつが,人種論の採用である。ゴビノー伯にみられるような人種論は,ナチにおいて典型的に現れたが,「宗教」ではなく「種」を問うものであったがために,それぞれの社会に「同化」*2していたユダヤ人をも狙い撃ちにした(「オルレアンの噂」のような事例もある。フラン

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    HODGE 2009/09/21
     ”反ユダヤ主義の言説は,ユダヤ人へのヘイトスピーチという体裁をとりながら,資本主義や既存の社会体制への批判となっている場合が多かった。つまり,普遍性を求めて,「ユダヤ人」という概念が記号化された”
  • 終結宣言 - 大蟻食の生活と意見

    何を書いてもまともに意味さえ取れない人を相手にしてきたことに漸く気が付き、うんざりして降りたのだが*、議論自体があまりにも醜悪になってきたため、また更に醜悪な差別主義者が馬鹿を抜かし始めたため、一言口を挟ませていただこう。ただし、後に述べるように、差別に関する公共の議論は根的に無意味であり、社会による調停は必然的に失敗する、という現在の立場から、この件に関して議論する気は全くない。 *前項について私が最後にはてなブックマークを見た時には、少なくとも三人は、どうにか読めたらしい人がいた。sk-44氏はそのいずれでもなく、よりにもよって一番お馬鹿な「スタージョンの法則」でお読みになったらしい——原理的に不可能、可能性ゼロ、が、どうして「スタージョンの法則」なんだ? 誰にでも解るように多少噛み砕いて言ってあげよう——エロを目指す表現とは、性そのものではなく性に向けられてきた既存の言説の中で行わ

    終結宣言 - 大蟻食の生活と意見
    HODGE
    HODGE 2009/08/08
    "アカデミズムは隠れ差別主義者の巣窟、ってのはどこでも常識だよ"
  • 外からつけられた紐ではなく - Apeman’s diary

    現実にドイツで行われていることは、排外思想、ヘイトスピーチへの弾圧以外の何者でもないでしょう。それは「当然弾圧されるべきものを弾圧してるだけ」というのがそちら側の主張なんでしょう? (http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090701/1246470760#c1246750001) 昨年末の時もそうだったけれども(例えばこのエントリ)、私が問題にしたいのはまさにこういう態度。 「表現の自由」を支持する議論としてはまず「民主的な政治に不可欠」とするものがあるわけだが、それだけならば政治的な主張の自由が保障されれば足りる*1。より広範な表現の自由が擁護されるべき理由はなにか・・・? とというならばわれわれが行き着くのは「個人の尊厳」だ。多様な表現を行ないまた多様な表現を享受することが人間の尊厳にとって極めて重要であるからこそ、非政治的な表現も含めてその自由は尊重さ

    外からつけられた紐ではなく - Apeman’s diary
    HODGE
    HODGE 2009/07/16
    "ヘイトスピーチはそれ自体が人間の尊厳に対する侵害であるだけでなく、ヘイトスピーチが引き起こすマイノリティへの脱共感は大量虐殺に必要な要因だからだ"
  • Only Words

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    HODGE 2009/06/27
    キャサリン・マッキノンの『Only words』
  • Mari Matsuda - Wikipedia

    HODGE
    HODGE 2009/06/23
    マリ・マツダ─日系アメリカ人、弁護士。『言葉と傷』(Words that Wound)でヘイト・スピーチ=差別的言説による人権侵害を理論化している。批判的人種理論(Critical Race Theory)。関連→http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20050801/p1
  • 言論の自由について - 内田樹の研究室

    言論の自由について思うことを述べる。 繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。 言論の自由とは 私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。 その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。 ただそれだけのことである。 だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。 私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。 「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。 それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。 それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。 「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言い

    HODGE
    HODGE 2009/06/23
    "現にヴォルテールは自ら掲げた「言論の自由」の原理に基づいて、激しい反ユダヤ主義的な文書を書き連ねた。けれども、その時代のユダヤ人たちにはヴォルテールに反論する機会は事実上与えられていなかったのである
  • いしけりさんへのコメント - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/barcarola/20090613/1244917026 度々言及ありがとうございます。 あまり長くならないようにしたいですが、いくつか。 第一に。国家権力の怖さは、直接介入だけでなく、私的権力行使の黙認という形でも実現されます。強制退去だけでなく外国人排斥デモの容認によって。女性に対する権利制限・教育によってだけでなく、私的表現の流通によって。格差問題や公害問題などで、国家による資管理によってではなく、私企業に対する国家介入の制限によって。ですから、憲法でさえ、「個人を国家から守る」というにとどまらない側面を持っています。 かつて、マッキノンの主張をいろいろ読んだことがありますが(そして、とても賛同はしませんが)、それでもマッキノンへの反論には首をかしげざるをえない、と結論しました。直接介入の危険性が語られるときに、私的権力を通じて実現され

    いしけりさんへのコメント - モジモジ君のブログ。みたいな。
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    HODGE 2009/06/14
    "直接介入の危険性が語られるときに、私的権力を通じて実現される支配が軽視されている、あるいは、無視されているからです。"
  • 「レイプレイ」と表現の自由、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    最初の記事の、最初の文を、提示しておきます。 女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 そのことと、もう一つ、「ゾーニング」論についても。今みたいな調子でゾーニングすると、やればやるだけ問題を深刻化するだけ。 【追記:一点、補足を書き足しました。】 「表現の自由」は誰のものか 準備としていくつか確認しておきます。 第一に。たとえば、個人情報に関する「表現の自由」「言論の自由」は制約を受けます。その意味で、これらの自由は、絶対的な無制限を事前に約したものではなく、個々の表現物、個々の言論について、また、その特徴によって、制約を受けるか受けないかを決めることが可能なものです。(1)現状の制限、(2)現状の制限+陵辱表現に対する制限とするとき、(1)のままでい

    「レイプレイ」と表現の自由、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    HODGE
    HODGE 2009/06/14
    ”そうではなく、ヘイト・スピーチそのものでしかない一つの立場が依然として堂々と、一つの立場として通用している、ということです。”
  • 「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    二つほど。 問題は「性暴力を助長する」ではなく「性暴力そのもの」 問題は、性表現一般ではないし、性暴力一般でさえなく、とりあえずは、性暴力を肯定する表現です。性暴力とそうでないものの境界が曖昧だとしても、問題になっているのは曖昧な事例ではなく、規制派も反対派も「性暴力の肯定的表現」と認識しているものです。そのような表現を、性暴力被害者に対して今なおセカンドレイプ的言説が繰り返される社会において流通させることの問題です。 で、表現は、表現であると同時に、直接の脅迫でありえます。わからないようだからハッキリ言いますが、「性暴力を助長するかもしれない」じゃなくて、それ自体が性暴力なんですよ。レイプが、身体の自由に対する直接の侵害であることは説明の必要はありません。では、脅迫はどうか。脅迫は、身体の自由に対する侵害の予告であって、侵害自体ではありません。しかし、侵害の予告をもって実際の行動の自由を

    「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    HODGE
    HODGE 2009/06/13
    "それは現にある社会的文脈において脅迫として作用するヘイト・スピーチではないか、という疑義が突きつけられる。"
  • 「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 この件に関して、佐藤亜紀氏が6月3日付の日記で述べている次の内容は重要だと思われる。 『悪魔の詩』がそういう(注意:ムスリムは表現の自由を圧殺する、というプロパガンダの)トポスにならずに済む機会が、少なくとも一度はあった、と私は考えている――冗談みたいな話だが、在英ムスリム団体があのに冒涜罪を適用するようにと当局に訴えた瞬間がそれだ。逆説的だが、もしイギリスの法廷が、冒涜罪は国教会とその首長である女王に対する冒涜に対してのみ適用される、などという固いことを言わずにラシュディ氏を召喚していたら(かつ、表現の自由が、とか言わずに、悪意の有無を徹底して追及していたら)、ラシュディ氏はむかつきながらも西と東の狭間に立つ

    「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。
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    HODGE 2009/06/13
    "規制より何より先に、一見してヘイト・スピーチにしか見えない表現に対して、「それはヘイト・スピーチだ」という批判がなされてきたのだ。"/"代わりに、「言論の自由だ」などという、木で鼻をくくるような応答が返
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