話題は珍説・奇説を広めておられる小説家たちのことに及んだ。 みんな否定的ではない。 私はそのロールモデルの1人として、作家・八切止夫(1914?〜87)の名前をあげた。日本ならではの歴史異説ブームは、彼の独自性によるところが強いと思っていた。 すると、ある友人は「みんな忘れがちなことだが、八切氏が増産したトンデモ説は、彼はそれを小説という形の範囲を守っている」という趣旨の指摘をされた。 一部の作家が「小説家」の肩書きを使い、小説ではない場で放談をされているのは、八切流と違うというのである。 この点、言われてみるまで本当に忘れがちだったことに気づいた。 確かに小説の中でなら、どのような嘘をついても大きな問題はないと私は思う。ただし、これからはそれも許されなくなっていくかもしれない。 八切作品が小説の範囲で、小説とは思えない技法を(意識的にか無意識にかはわからないが)使ったことで誤解され、その
![司馬遼太郎の小説『関ヶ原』「著者」が登場する冒頭をどう受け止めるべきか? 自ら登場人物になることで、読者を現世界から異世界へと導く司馬遼太郎の魔法 | JBpress (ジェイビープレス)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8de9046733faeee4b3e200d169b0f6f629d60b62/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjbpress.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fe%2Fa%2F1200mw%2Fimg_eaf47fa0985947f4036de26d3030a6d2354089.jpg)