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ペルソナと頷に関するHebiのブックマーク (3)

  • 「現実に近い」テレコミュニケーションなんてしたくないよ。 - 記識の外

    対談の中で、鈴木謙介氏が、電子コミュニケーションが現実に近いようなビデオチャットのようなことが技術的にはできるようになったのにテキストでコミュニケーションをしたがることを指摘、言葉を深読みすることによって、気を遣ったりしなければならず、コミュニケーションから抜けられないという。それに対して斉藤環氏が、 それは2ちゃんもそうだし、ブログもそういうところがある。携帯のメールなんてまさにそうです。結局つながりたい欲求が最初にあって、ぼくの言葉でいえば、毛づくろい的コミュニケーションですね。ぼくの考える「コミュニケーションの達人」とは、内容のない話をいつまでも続けられる人です。話題がなくてもだらだらしゃべってるのはかなりコミュニケーション当事者にとっては心地よい。実際、若い患者のメールを見せてもらうと、当に一行か二行しか書いてない。大事なことは来た瞬間に返しているかどうかとか、形式的な部分です。

    Hebi
    Hebi 2006/04/20
    テキストには「意図して伝えたいこと」が凝縮しているわけで、恋人とか家族ならともかく中身のあるやりとりをしたいときに視覚情報なんて邪魔なだけだと思う…。あと、音声だとわかり易さの反面見逃されるものも多い
  • つながってつながって、その先にあるものはネットというものではなく - シナトラ千代子

    えーと、ネットとコミュニティについてのざっくりしたお話。 それぞれのBlogサービス毎につながりやすい仕組みがあったりするわけですが。 はてなの場合は、たとえば キーワード idトラックバック などなど。 以下はコミュニティを蛸壺っぽいものと捉えてみて。 つながって、 つながって、 さらにつながって、 ふと見渡すと で、 いずれみんなで「ネットは〜」みたいな話をしても、じつは身近なごくちいさなコミュニティだけの話ってことになるのかもしれない。ネット全体を俯瞰するような話はだんだんとしにくくなってきている気もする。宇宙は今も拡がりつつある。けれどもみんながいろんなコミュニティに同時に存在するようになれば、閉塞感みたいなものはあまり感じない。「遠くにあるネットコミュニティ」のことなんて全然わからなくても、「狭くて広いネット」のあちこちに存在する自分はわりと快適だ。 そういうわけでネット人格もコ

    Hebi
    Hebi 2006/03/25
    『ぼくたちの洗脳社会』の第四章「価値観と他人への接し方が複数、個人の中で共存している」>けれどもみんながいろんなコミュニティに同時に存在するようになれば、閉塞感みたいなものはあまり感じない。「遠くにあ
  • http://www.misokichi.com/test/archives/2005/1127134825.html

    Hebi
    Hebi 2005/11/29
    ゲームにせよ、ネットにせよ代償行為の危うさと常に隣り合わせ。リアルを仮想現実として誤認するテクニックを編み出したい。
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