倫理と自由 北守氏の議論のうち、まずヴィーガンが社会的な運動として肉食を批判する理由、必然性について議論をしている部分には認識の差異は基本的に無いし、その背後にある事実関係、例えば畜産の環境負荷や、倫理的な課題(とされるもの)、それを取り巻く政治状況については異論はない。 ここで、北守氏は「問われることすら個人の自由の侵害」とするような態度を批判する。しかし、批判される側も「回答しない自由」があることは明らかである。また、逆に「他人の自由な行動を、共有されない倫理で裁くことの是非」を問うことも、「問われることすら個人の自由の侵害」ではない以上、当然にあるだろう。ここで、どちらかの「問い」を特権化する振る舞いこそ、妥当性を欠くのではないだろうか。 さらに言えば、そもそも、肉食が環境負荷や動物倫理の観点から批判しうる「悪徳」であることは明らかなのであって、そのため、より倫理的な優位にあるヴィー