1925(大正14)年1月6日、6回目となる箱根駅伝の往路で、ある事件が起きた。 このとき、日本大学の第2区の走者だった前田喜太平は、区間賞の快走で、日大を8位から6位に引き上げて戸塚の中継所に飛び込んだ。しかしそこで待っていた3区の走者は、予定された吉田正雄ではなかった。前田は狐につままれたような気持ちを抱きながらも、とにかくその走者に襷を渡す。 この走者が予想外の活躍を見せる。先を走っていた明治大学、慶應義塾大学、日本歯科医専、東京高等師範学校をごぼう抜きし、日大は一気に6位から2位へとのし上がった。戸塚では先頭の中央大学に7分半近く差があったのが、平塚の中継所で4区の走者・会川源三に襷を渡すまでに2分ほどに縮めていた。しかし、会川は、「選手が来たぞ! 日大だ」と観衆が叫ぶのを聞いても信じなかったという。その上、走って来たのは顔も見たこともない男だった。会川は驚きながらも、仕方がないの