性善説と性悪説 この言葉は高校時代の倫理社会の時間に初めて耳にしました。単純に善だ悪だと決められる程、人間は単純なものなのだろうかと、可成り懐疑的にこの言葉を受け取っていた覚えがあります。 ところが、教育を考える場合、人間に対して性善説の立場を取るか、性悪説の立場を取るかは大問題です。何か問題を起こした子どもを前にして、その問題をどう理解するか、それに対して大人がどう対処すべきか、結論が全く正反対になるからです。 予め明らかにしておきますが、私は性善説の立場を取ります。ですから、この後の話の展開の中で、性悪説に対する部分は可成り辛辣な表現になるでしょうし、対して性善説に関する部分は良い事しか書かないだろうと思います。そのzもりで読んで下さい。 性悪説の立場でいうならば、子どもは邪悪さの権化です。子どもが本来持つ性質は我が儘で、怠け者で、自己中心的で、欲張りで、嘘つきで、狡賢く、隙を見せれば
題名通り、言いたい事を好き勝手に言わせてもらおうと、まあ、そういうページです。 順番に文書を呼び出せるようにしてありますが、最後の文書で「次へ」を選ぶと存在しない文書を呼び出そうとします。悪しからず。 半年毎に分けて整理しました。最新版をクリックして下さい。 ホームへ 最新版 2003年 下半期分 2003年 上半期分 2002年分 2001年 下半期分 2000年 下半期分 2000年 上半期分 1999年 下半期分 1999年 上半期分 1998年 下半期分 しつけ狂時代
権利としての自由 「お前は、自由という言葉をはき違えている」 世のオヤジがよく口にする繰言ですね。「自由であるということは、なにをしても許されるということではないんだ」などと、続く訳なんですが。 でも、本当に自由の意味をはき違えているのは、こういう言葉を口にするオヤジ連中でしょうね。自由というのは人間に与えられた崇高な権利であって、例えば常識だとか、気配りだとか、そんなみみっちいもののために制限されるべきものではないのです。自由であるというからには、なにをすることも許されているのです。ただ一つのことを除いて、人はなにをすることも許されているのです。 問題は、許されないただ一つのものとは何か、ということなのですが。 例えば、天皇制の国家に於いて一番の犯罪は、天皇を侮辱することです。あるいは、天皇に反逆することです。資本主義の国家に於いて、資本主義経済を混乱させる行為は、最大の犯罪となります。
分かりやすさのトリック 小泉純一郎首相が大人気のようですね。私は個人的に、かの御仁を信用していませんので、ちょっと小泉批判です。 小泉人気の理由の一つに、彼の言葉は分かりやすいというのがあります。今までの政治家の言葉は分かりにくかった。その点、小泉氏の言葉は分かりやすい。だから、親しみやすいと。 そして、日本には分かりやすさ神話というものがあります。難しい問題を分かりやすく説明できるものは、それだけその問題を深く理解している人間だと。きちんと理解しているから分かりやすく説明できるのだと。 きっとそれは、嘘です。 確かに、簡単な問題を分かりにくく説明する人間は、理解が不足しているのです。自分の中で知識が整理されていないから、おもちゃ箱を引っ繰り返したような雑然とした説明しかできない。 あるいは、どこかに誤魔化しがあるのかもしれません。例えば、中学校の教師が知る権利について生徒に話す。知る権利
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