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権利としての自由
権利としての自由 「お前は、自由という言葉をはき違えている」 世のオヤジがよく口にする繰言ですね。... 権利としての自由 「お前は、自由という言葉をはき違えている」 世のオヤジがよく口にする繰言ですね。「自由であるということは、なにをしても許されるということではないんだ」などと、続く訳なんですが。 でも、本当に自由の意味をはき違えているのは、こういう言葉を口にするオヤジ連中でしょうね。自由というのは人間に与えられた崇高な権利であって、例えば常識だとか、気配りだとか、そんなみみっちいもののために制限されるべきものではないのです。自由であるというからには、なにをすることも許されているのです。ただ一つのことを除いて、人はなにをすることも許されているのです。 問題は、許されないただ一つのものとは何か、ということなのですが。 例えば、天皇制の国家に於いて一番の犯罪は、天皇を侮辱することです。あるいは、天皇に反逆することです。資本主義の国家に於いて、資本主義経済を混乱させる行為は、最大の犯罪となります。