文:岡 映里 医事漫談家のケーシー高峰さんが平成31年4月8日にお亡くなりになりました。享年85。 私とケーシーさんは、2011年の震災をきっかけに出会いました。2013年からは週刊大衆の連載『グラッチェ哉人生』の構成担当として公私にわたってお世話になっていた私に、追悼文を書いてみないかと「いごく」編集部の小松さんが声をかけてくださいました。 願ってもない機会ですし、私が見たケーシーさんについて書いてみたいと思いました。ですが、この4年間について振り返ると、驚くほどきれいに「エピソードにできるイイ話が残っていない」ことに気が付きました。 たいてい80代で死ぬような人は、若輩の者に「人生訓」めいたものを残したりする場合が多いような気がするので、ケーシーさんの場合もそんな発言を記憶の中から引っ張り出してきて重石に使えば、追悼文は完成するだろうと思いました。でも、よく思い返してみても、それがない
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