ブックマーク / ji-sedai.jp (6)

  • オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ

    文学者たちのあっけない「転向」 1964年10月の東京オリンピックは、「筆のオリンピック」とも呼ばれた。小説家や評論家など物書きの多くが、まるで競うようにオリンピックのことで筆を執ったからである。 当時はまだテレビタレントがいなかった時代。文学者は文化人の代表格であり、その観戦記は、今日のテレビ番組のレポートやコメントのように広く消費された。こうした文学者たちの文章は、同年12月刊行の『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社、2014年同学芸文庫で復刊)にまとめられている。 今日改めてこのを読むと、われわれは失笑を禁じえないだろう。というのも、名だたる文学者たちが、あまりにもあっけなく次々に「転向」してしまうからである。 文学者たちは、もともとオリンピック開催に対して批判的ないしは無関心だった。その辛辣な言葉の数々を少し引いてみよう。 「私もかなり批判的だった。たかがスポーツ

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    IkaMaru
    IkaMaru 2016/08/24
    メダルを取れなければ冷静になるのかといえば、アスリート叩きにシフトするだけ。成功は日本の誇り。失敗は個人の恥
  • 多くの国民が無関心だった? 1964年のオリンピックはこんなにもダメだった - ジセダイ総研 | ジセダイ

    理想化された1964年の東京オリンピック 東京オリンピックは、3つ存在する。1940年の大会、1964年の大会、そして2020年の大会だ。このうち、1964年のそれは過剰に理想化されている。 日中戦争の影響で返上した1940年の大会は戦時下を象徴し、目下様々なトラブルを引き起こしつつある2020年の大会は「失われた20余年」を象徴する。この2つの東京オリンピックはいわば「暗黒時代」を背負っており、否定的なイメージを免れない。 これに対し、1964年の大会は高度成長期を象徴し、肯定的なイメージが強い。 当時の日は、戦後復興を成し遂げ、新幹線や首都高を建設し、先進国の仲間入りを果たした。当時の日人はみな夢や目標を持って、輝かしい明日に向かって努力していた。われわれはいま一度、2020年の東京オリンピックの実現を通じて、あの「黄金時代」を取り戻さなければならない。1964年の東京オリンピック

    多くの国民が無関心だった? 1964年のオリンピックはこんなにもダメだった - ジセダイ総研 | ジセダイ
    IkaMaru
    IkaMaru 2016/07/22
    つまり2020年のオリンピックも金を浪費し誰も責任をとらず、それでいて後世には美化されまくるのだと。絶望的な気分にしかならん
  • 「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から── - ジセダイ総研 | ジセダイ

    今年9月19日未明、安全保障関連法が参議院で可決され、成立した。それに先立ち、同法の廃案を求める抗議行動(以下、反安保デモ)が大規模に展開されてきたことも記憶に新しい。今回の抗議行動は、脱原発関連デモをはじめ2010年代に盛り上がりを見せてきたリベラル系の社会運動の集大成といった観があった。 反安保デモの特色のひとつは、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)という学生組織が盛んにメディアに登場した点だ。日では実に1996年の薬害エイズ問題抗議運動以来、ほぼ20年ぶりに学生運動が政治の第一線に登場した事件だった。 この手の原稿を書く際のマナーとして、不粋を承知で自分の立場を先に述べておこう。まず、私は中国国家や軍部の安定性を基的に信用していないので、日米同盟を強化する防衛政策の方向性にはおおむね賛成だ。現在、中国の軍事的なターゲットは南シナ海で、リスクに見合わない東シナ海への

    「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から── - ジセダイ総研 | ジセダイ
    IkaMaru
    IkaMaru 2015/09/25
    「運動の作法」がなってないとすればそれは何も継承させてやれなかった上の世代の責任であり、同時に日本の民主主義がちっとも成熟してないという恥ずべき現実でもある。嘲笑してる場合じゃない
  • リー・クアンユーと「賢いじいさん」の時代の終焉 ─1923年世代の黄昏─ - ジセダイ総研 | ジセダイ

    報道の少なさもあってか、一般の日人の間では国情が十分に知られているとは言い難い国・シンガポール。琵琶湖とほぼ同じ面積の小国にもかかわらず、自由な経済・金融政策が奏功して一人当たりGDPはアジア1位。一方で政体は与党・人民行動党による事実上の一党独裁政治が敷かれ、口さがない外国人からは「明るい北朝鮮」とすら揶揄される――。そんなユニークな国家を作り上げたのが、同国の建国者(初代首相)のリー・クアンユーだ。シンガポールは、晩年まで強い政治的影響力を発揮し続けたリーの作品ともいえる国家だった。 2015年3月23日、リーは91歳で逝去した。彼の死が象徴するものは、シンガポールのみならずアジア全体の代替わり。「あの戦争」によって創られた世界が、いよいよ転換をはじめる時代がやってきた。 ある戦中派世代の死 昨年の11月15日は、私のなかで「戦後」が終わった日だった。 祖父が亡くなったのだ。1923

    リー・クアンユーと「賢いじいさん」の時代の終焉 ─1923年世代の黄昏─ - ジセダイ総研 | ジセダイ
    IkaMaru
    IkaMaru 2015/03/29
    いくら豊かになってもシンガポールが「自由と民主主義」を手にする事はないよ。むしろ発展に陰りが出て経済力で口を塞げなくなったとき、民主化が始まる
  • 香港・雨傘革命はなぜ失敗したのか? 理性的・自発的運動とその弊害 - ジセダイ総研 | ジセダイ

    「真の普通選挙」導入を求めて香港中心部の街頭を占拠する雨傘革命。9月末の開始からすでに1カ月が過ぎたが、出口を見いだせないまま膠着状態が続いている。 この膠着状態は、香港政府・中国政府が強硬姿勢を貫いているから……ということだけが原因ではなく、実は雨傘革命の運動形態も背景となっている。 私は先日、香港を訪問し、雨傘革命の「参加者」の一人となった。私だけではない。この間、香港を訪れた日旅行者、さらには中国土の旅行者もほぼすべてが「参加者」だ。 稿では、この不思議なロジックを成り立たせている運動形態と、その限界について考えてみたい。 雨傘革命、占拠区投票で見えた亀裂 まず雨傘革命について抑えておこう。歴史的背景と初期の経緯については、10月8日公開の記事「中国政府の「悪手」が招いた香港・雨傘革命」に詳しい。その要点は以下のとおりだ。 ・行政長官普通選挙導入は香港返還時の公約であったが、

    香港・雨傘革命はなぜ失敗したのか? 理性的・自発的運動とその弊害 - ジセダイ総研 | ジセダイ
    IkaMaru
    IkaMaru 2014/11/12
    本家のオキュパイ・ウォールストリートと同じ轍を踏んでいるという事か。民主政府も結局は彼らを暴力で叩き出し、それを切っ掛けに何が起こる事も無く日常に戻ってしまった訳だが
  • 中国は民主化しない ~良心的中国論と関西のスポーツ新聞との共通点~ - ジセダイ総研 | ジセダイ

    「○○は中国民主化の第一歩」にそろそろ飽きてきた 大学時代から数えると、中国とは14年くらいの付き合いである。 そんな私はかつて、新聞やテレビ中国が民主化する傾向を知るのを楽しみにしていた。 そもそも大学で中国史を専攻したくらいなので、私は元々かの国が嫌いではない。 悪いのはあくまでも共産党の独裁政権だ。彼らが倒れ、民主化すれば中国はよくなる。 日の教科書もテレビも新聞も言っているように、民主主義とは「よいもの」であり「正しいもの」である。 よくて正しいことが明らかである以上、いつか中国人だって民主化を選ぶはずだ。 その兆候を見つけるのは大事なことである。 ――かつて私は、何となくそう考えていた。 だが、私はいつの間にかこの種の考えを持たなくなった。 それは、ただでさえカオスな中国を民主化させたらまとまりがつかなくなるとか、いくら民主主義でも韓国のように反日感情をポピュリズム的に使われ

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    IkaMaru
    IkaMaru 2014/09/26
    民主化してプーチンの半独裁国と化した北の隣国を見てたら、民主化で何でも良くなるという希望も薄れるというもの
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