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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (33)

  • まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

    いじめ対策としての異なるチャンネルの確保 いじめが問題になっているが、いかにいじめをなくすか、という論点は不毛なように思う。暴力などの犯罪行為ならいざしらず、無視、陰口などの集団的ないじめは、人間のコミュニティにおいて必然ではないだろうか。誰かを外部へ排他することが内部を形成する条件であるように思う。そしてだれが排他されるかは、偶然であり、だれもが排他される可能性がある。 様々に語られるいじめ対策の中で、比較的有効だろうと思ったのが、学校のクラスなどの小さな世界に埋没せず、異なるチャンネルを確保しようというアドバイスである。 自意識は1回性に支えられる 多くの悩みは他の人からみるとなんてことはない。なんでそんなことぐらいで、悩み、極端には死を選ぶのだろうかと思う。その程度のことは誰もが経験することで、そのうちなんとかなるよ。そんなに思い詰めない方がよい、と考える。 ここにあるのは、1回性と

    まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか
    Imamu
    Imamu 2006/12/20
    『「身近さ」の小ささ』(「自分の近接にのみ強い1回性の強度があり、少し外れると反復として希薄化する」)
  • 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「成果主義と年功序列の“ねじれ”」 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」が語られています。そしてその理由として、「成果主義と年功序列の“ねじれ”」が上げられています。 近年、日では年功序列制度が崩壊したと言われていますが、厳密に言うとそれは必ずしも正しくありません。年次管理による結果、平等的な年功序列賃金制度は1990年代に導入された「成果主義的賃金制度」により確かに崩れました。しかし、成果主義賃金制度を導入した企業においても、「昇進昇格制度」は今もなお大半の企業で根強く、年功序列制度に基づいているのです。 年功序列制度のねじれ現象的な変化の結果、賃金は成果主義の名の下に容易に上がらず、昇進昇格は若い限り期待できないという二重の出口のない閉塞感に陥るのでしょう。 若者のその気持ちが分からないではありませんが、年さえとれば給与が上がることを期待するのは、今の時代においては、やはり現実的ではあり

    「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/12/09
    「成果主義のトリック」/『企業コミュニティへの帰属→知識コミュニティ-「ネット上のブログや掲示板などを楽しむ人たちはそこで無償の「労働」によって、コミュニティが形成され、自己確立の一部となっています」』
  • なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「東京カワイイウォーズ」 大人気のカリスマモデル“エビちゃん”。販売絶好調のファッションビル“渋谷109”。2万人近い女の子が熱狂するファッションショー“東京ガールズコレクション”…。いまファッション界で人気を集めるものに共通するのは女の子たちの「かわいい」という声だ。 製品の品質やブランドのネームバリューより、「かわいい」と感じたものをその場で消費するようになった女の子たち。そんな女の子たちが消費者代表となったファッション業界では、いま、長年の作り方や売り方を根から問い直すような変革が始まっている。アパレルのプロを排除して企画されるデザイン。年々短くなる流行サイクルに対応するための超ハイスピード生産。実際の店舗を持たず、24時間女の子の消費をキャッチするネット販売の出現…。 NHK特集 「東京カワイイウォーズ」 http://www.nhk.or.jp/special/onair/06

    なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/11/26
    面白ひ。『「かわいい」存在を担保』or『「かわいく」振るまうこと(幼稚化)』「無防備に「ベタ」な存在に接することで、空気を読むという「メタ」の読み合いのストレスから解放され、癒される」
  • なぜ人々はディテールにこだわるのか。 映画「間宮兄弟」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ドラマ「結婚できない男」のおもしろさ ドラマ「結婚できない男」(ASIN:B000ILZ3WG)は前評判もたいして高くないのに、高視聴率をとり、評判になりました。阿部寛演じる40代の独身建築家は、自らの小さな設計事務所で自分が納得するこだわった仕事をしています。そして私生活でも誰にも邪魔されない好きな趣味の世界に埋没し楽しんいる。彼にとって人間関係は自らの楽しみを妨げる煩わしさものでしかありません。だからまわりからは良い仕事はするが人付き合いが悪い変人にみられています。そしてそんな男がまわりの人々と関わりながら、一人の女性と恋に落ちていくという話です。 このドラマのおもしろさは、このような趣味型人間のディテール(物の細部)へのこだわり方を緻密に描くことで、その滑稽さともの悲しさが浮き彫りにされるところです。このような自らからの趣味に埋没する楽しさと孤独は、現代人だれもがもっているものではな

    なぜ人々はディテールにこだわるのか。 映画「間宮兄弟」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/11/25
    「自らからの趣味に埋没する楽しさと孤独」「ディテールにこだわって演じ続けることで居場所が確保されているように」「安定反復」=「他者回避」
  • なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋愛ドラマのリアリティ ドラマは基的に障害がありそれを乗り越えることが描かれる。特徴的なのが恋愛ドラマだ。男女が障害を乗り越え結ばれることを基にする。問題は障害をどのような設定にするか。このような障害設定は時代背景を反映する。 たとえば「ロミオとジュリエット」では、障害は家柄であり、駆け落ちものでは身分である。かつてはそのような社会的な秩序(拘束)がリアリティをもっていた。 韓国ドラマは障害のデパートである。韓国ではいまでも日では失われつつある家族関係、家柄などの社会的な秩序(拘束)が重要視されているために、恋愛ドラマでも重要な障害として描かれる。オバサンたちが韓流を好むのは、彼女達が若い頃にも日でもまだこのような社会的秩序(拘束)が働いていたためだ。 最近の若い人たちではそのような社会的秩序(拘束)は、お互い好きなら良いじゃん!と、リアリティを持ちえない。 「不治の病」ドラマとい

    なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/11/18
    「価値多様化-死はリアリティ」「近代的人権(人類コミュニティ-大コミュニティへの帰属は弱い)/日常慣れ・非日常への情動」
  • なぜ仕事はおもしろいのか その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    プロフェッショナルへのあこがれと違和感 「なぜ仕事おもしろいのか その2」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20061112のようにレスをいただき気が付いたのは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見て感じたブレンダーの方への入り交じった複雑な気持ちです。プロフェッショナルとして強い誇りをもてるうらやましさに対して、会社の一部の機能(精密機械)となることへの違和感です。 「空気を読むことに失敗した者」が排除される 一部になることに不快を感じるのは、情報化社会では立ち止まることの怖さがあるからではないでしょうか。情報化によってボクたちはとても俯瞰した視線を手に入れました。いまセカイでなにが起こっているのか、たえず高いところから見ることができます。国民総評論家化です。 アイロニカル(そしてシニカル)であるのは、現代を生き抜くための術です。目の前の情報をただ信

    なぜ仕事はおもしろいのか その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/11/12
    考えさせられる。『「空気を読むこと(アイロニカル,シニカル,俯瞰した視線)に失敗した者」が排除される』『「普通の人」であるバランスが持ち続けること、強迫的な過度の没入への警告です。』
  • なぜ映画はおもしろくないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    映画は「重い」 たとえば映画において、興行収入ラングは大きな意味を持ちます。多くの人は映画を見るときに、興行収入、あるいはDVDランキングを重視しています。たとえば書籍の場合はどうでしょうか。人々がを買うときに、売上げランキングをそれほど重視するでしょうか。 たかだがトップ10をもとに選ぶのでなく、近くの屋に行って、純文学、SF、ミステリー、ノンフィクションなどなど自分の興味のある分野をみて回って探すのではないでしょうか。 この差はメディアとしての「重さ」の違いにあります。映画は、製作に大金がかかり、配給に大金がかかります。テレビがただで見られる中で、お金を払って、映画館に人を集めるのは、大変なことです。 ビデオを含めて様々な映画が溢れていると考える人がいるかもしれません。しかし映画は広告に大きく依存し、マスメディアが広告する数映画以外の情報を入手するのはハードルが高い。だからボク

    なぜ映画はおもしろくないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/10/28
    面白ひ。『「マクドナルド化」という「とりあえず」』=選択のインフレーション⇒ナビゲートシステムand一部の「ゆずれない」「重要なこと」
  • ダリというフロイトとマルクスの交錯点 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「私はダリでしょう?」 ダリ展(http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/315.html)にいってきました。シュルレアリスムはフロイトから大きく影響を受けたと言われるように無意識的です。ダリの絵は一見、抽象的な絵なのですが、感性的というよりも思考的です。隠し絵や暗示絵など考え抜かれてつくられています。ラカン風にいえば、シュルレアリスムは言語のように構造化された芸術表現と言えるかもしれません。 さらにダリの絵は、心身二元論的であるのかもしれません。その特徴は、身体は物体化されて、ものの中にはめ込まれる感じで描かれることが特徴的です。すなわちその全体からの映し出される心に対して、器質身体は疎外されています。 たとえばダリの「家具栄養物の離乳」(http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/315_large05.

    ダリというフロイトとマルクスの交錯点 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/10/09
    面白ひ。「心の虚像化と身体の疎外」
  • なぜグレイゾーン化は熱狂を生むのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    グレイゾーン化と予測可能性の向上 技術(テクネー)とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」=無垢の制作=グレイゾーン化である。 グレイゾーン化とは、世界の不確実性を予測可能性へ転換すること、リスク管理することである。たとえば狩猟文化から農耕文化への変更は、自然を開拓管理することで、料の入手の予測可能性を高めた。さらに蓄積を可能にすることで、不確実な飢饉へ対応することが可能になる。このようなグレイゾーン化は質的に対象の還元性をもつ。還元することで、反復を容易にする。 特に近代以降、この還元性は「数量化」の徹底によって行われる。数量化は質を量の等価交換関係に還元し、質を排除する。そして数量化は「反証可能性」という力を生みだし、反復回数が向上することでより確実なプラグマティック(実証的)な成果を期待することができる。その方法が正しい、間違いというよりも、どれだけ実

    なぜグレイゾーン化は熱狂を生むのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ネット社会は資本主義的な秩序を乗り越えるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    自由への熱狂 産業革命は19世紀であるが、16世紀ルネサンスにはじまり、宗教革命、科学革命、大航海時代など、人間主義、啓蒙思想の普及という近代化の潮流の帰結として起こった。さらに言えば、このような人間主義、啓蒙思想は、ギリシア思想であり、初期のキリスト教であり、紀元前の精神革命といわれるものが、中世をイスラム圏で育まれ、到来したものである。このような潮流の中の産業革命、そしてその後の資主義の躍進を考えるときに、その根底に「人間中心主義的なもの」が流れている。 資主義のマルクス的生産中心構造は、瞬く間に消費中心構造へ転換された。むしろ資主義とは消費社会のことを指す。産業革命後、経済システムを下部構造として社会は構造化され、家庭、学校、企業などがつくられたが、消費社会という欲望の熱狂の中で、容易に書き換えられている。 大量生産革命(フォーディズム)、大量消費革命(マクドナルドイズム)、サ

    ネット社会は資本主義的な秩序を乗り越えるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 人間と動物の間で(仮):ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。

    なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか 最近、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどチェーン店が爆発的に増加し、いわゆる「下町のお店」は廃れる傾向があります。このような傾向は「マクドナルド化(McDonaldization)」と言われ、効率最優先による人間性喪失ととらえられるますが、*1むしろ人々が望んで「下町のお店」よりも「マクドナルド」へ行くのではないでしょうか。 たとえばある商品を購入するときにたまたま持ち金が5円足りなかったとき、「下町のお店」では事情を説明して、5円ぐらいおまけしてもらえないかと交渉できます。すなわちお店は客に5円を贈与するのです。しかしコンビニでは5円だろうが、おまけすることはできません。これは金額の問題ではなく、「贈与関係の排除」がコンビニの存在価値の大きな部分を占めているからです。 コンビニでは、商品を購入する客がどのような人物かに関係なく、どの客にも同じマ

    人間と動物の間で(仮):ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。
    Imamu
    Imamu 2006/08/10
    マクドナルド化、環境管理権力etc..読み返す
  • なぜネットコミュニケーションは地球を救うのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    シミュラークル化した社会 労働価値説におけて、労働とは自然から生産するという労働観に根ざしている。そしてこのような労働観には自然のもつ「無垢性(未知)」を開拓する快楽としてもあるのではないだろうか。 近代以降、分業化が進み「労働」は自然と切り離され、自然の「無垢性(未知)」を開拓する快楽から切り離されていく。そして分業化による生産効率の向上とともに社会がある豊かさに達すると、人々は無垢への快楽を「消費」に見いだしていく。 消費社会における商品は単なる使用品でなく、たとえばブランド品のように無垢を「演出」する商品である。このように消費社会では無垢は自然から得るのでなく、労働によって産出されていく。これが「シュミラークル化した社会」である。 「無垢」の産出は市場における新たな無垢の競争を引き起こし、強迫的に人々の無垢への欲望を刺激する。そしてここで生まれた負荷は、分業化によって社会から隔絶され

    なぜネットコミュニケーションは地球を救うのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Imamu
    Imamu 2006/07/29
    「消費の無垢」「疑似自然」へ回帰
  • なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「外部産出型」としてのセカイ系 「涼宮ハルヒの憂」の最終回を見たが、なかなかおもしろいかった。最終回の前半まで退屈が描かれ、突如クライマックスが訪れる。ボクは「涼宮ハルヒの憂」が「セカイ系」の構造があるといっていたが、最終回はまさにそのものの展開として終わった。 ボクは、「なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか」*1においてセカイ系を以下のように説明した。 ■セカイ系は、無理矢理にでもハルマゲドン(外部)を産出しようとする表現=「外部産出型」の系列にある。 ■外部産出型は、「内部/断絶(ファルス)/外部」の構造を持つ。社会(大きな内部)の閉塞感の中で断絶(ファルス)の存在が外部への道を開く。たとえば「デスノート」では断絶(ファルス)とはデスノートであり、外部とは死神界である。 ■「外部」とは、未知であり、なんの背景もなくただ不気味に殺戮にやってくる敵である。そしてこちらもなんのためら

    なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない