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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/hasidream (2)

  • ゼロ年代を締めくくる傑作! 『Steins;Gate』シュタインズゲート - アセティック・シルバー

    考察, 感想, 物語論, ノベルゲーム  傑作です。 一気にプレイし終えました。いくつか瑕疵があるけれども傑作だといって差し支えないと思います。テーマ的にもループものとしての構造的にも、ゼロ年代を締めくくる作品の一つであることに間違いありません。どんな話か、の紹介については敷居さんがよい記事を書いてくださってますので、そちらを見る方がよいでしょう。 リンク:『Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)』はガチ - 敷居の先住民 さて、ではスタート。ぼくの記事はネタバレしまくりなので、ご覧になるまえに十分注意してください。そしてまた勿体ないので、公式サイトと、この記事は、プレイしてから読むことをお奨めします(笑)。    内容としては『紫色のクオリア』とほぼまったく同系統の物語で、だけどテーマ的にはやや及ばなかった、という印象でしょうか。惜しい、と思います。とはいっても十分すぎるぐらい楽

  • 脚本と演出の違い。 - アセティック・シルバー

    物語論このあいだ教えてもらった両者の違いを確認。ある物語作品があったとして、・一体どういう物語なのかが「脚」・その物語をどう表現するかが「演出」と分けると理解しやすい。意外と分かっているようでわかっていない事なんだよなぁ。この定義の「演出」だとすると、完成作品は「演出」のカタマリなわけだわな。「演出」は見ることができても、「脚」を見ることができないことは結構多い。だからライトなオタクは「演出」について語り合うし、ディープなオタクは「脚」について語り合うという偏見がぼくにある(笑)*1。 「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚」は持続的かつ継続的な快楽を生み出すと言ってもいいかもしれない。 さて、この記事中で「演出」をやってのけていることに気づきましたか?。 最初に「脚」と「演出」はこう定義すると言った後にぼくは『「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚

    Imamu
    Imamu 2007/05/21
    「感性作品(状態)」は「演出のカタマリ」ということなので、それを見て演出とともに脚本まで見れるとより楽しめそう。
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