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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (7)

  • 惚れたが悪い - 烏蛇ノート

    今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。 俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」 とか送ってきやがって 「彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人」とか言いやがって それでこれは99%大丈夫として告白したら 「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。 この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが「非モテ」の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗な気分にさせられます。 (※ この部分について追記しました。) この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。 勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋と

    惚れたが悪い - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2007/01/17
    『「恋していること」が「恋愛感情を表明すること」のエクスキューズにならないのと同様、「性的に欲情すること」も「性的行動」のエクスキューズにはなり得ない』
  • 「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート

    田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛主義」こそが「非モテ」の根問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。

    「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/12/23
    とりあえず便宜的に「恋愛資本主義(交換可能性)/恋愛至上主義(交換不可能性)」ということは解った。
  • 烏蛇ノート - 性的視線(3)

    「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏から新たに言及があったこともあり、もう少し「非モテ」と「性的視線」の話を続けてみます。(「電車男」の話は脇道に反れるので、とりあえず保留にしておきます。) まずは古澤氏の議論を引用しつつ、捩れを解いていくところから始めましょう。 確かに、女性からの侮蔑の多くは男性としての価値を否定するような形での侮蔑になるであろう。しかしながら、このような侮蔑は女性からのみもたらされるのではなく、広く男性から、また社会構造からもたらされるものである。直接的にはモテ男性からの「恋愛が出来ない男はダメだ」という言説や、遠まわしには「努力すれば恋愛出来る」といった言論の問題点は多くの非モテ論壇にて問題視されてきたものである。しかしながら、ここで一つ考えなければならないのは、女性からの視線は対象たる非モテ恋愛対象にならないという宣告であり、男性からの視線は恋愛が出来ないという事へ

    烏蛇ノート - 性的視線(3)
    Imamu
    Imamu 2006/11/07
    「不当な性的扱い」(性別カテゴリー装置に常にはめ込もうとする暴力)//「恋愛対象にされないこと」
  • 「恋愛できない女は洒落にならない」はどこまで本当か - 烏蛇ノート

    はてなダイアリー界隈では、以前から「非モテ女性不可視論」が論じられてきました。これは、はてなダイアリーで「非モテ」を名乗る女性が男性に比べて少ないことから、「非モテの女性はどこに居るのか?」が度々話題になったためです。 今回は、これに関連したMasao氏のこちらの記事より。 http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061004/p1 たとえば、「女版ラジオクリルタイ」なんて想像できますか、みなさん。ブスが寄り集まって素晴らしい人々へのルサンチマンを語ったり暗い学生時代を振り返ったりするネトラジ。ちっとも笑えない話になるか、やたらハイテンションなお笑いになるか、じゃないでしょうか。非モテ男と非モテ女、いまだ、とてつもなく異質なり。 僕はコレは、「社会的に女は恋愛仕事だから」なんじゃないかと考えています。これは、「女のニートは家事手伝いと名乗れて、男ほど問題視さ

    「恋愛できない女は洒落にならない」はどこまで本当か - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/10/19
    『社会的に女は恋愛が仕事」という命題』
  • 「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート

    久々に恋愛についてのお話です。 今回は宮台真司氏のこちらの記事について。 生身の人間関係には全体性があるの。たとえば性格や振る舞いにも肯定面と否定面とが表裏一体あって、それらが合わさって人格になってる。人間関係もそうで、不愉快なもの、不幸なもの…全てを含めて初めて現実のドラマが成り立つ。悲劇がドラマの不可欠の部品だと理解することが、全体性に開かれた態度なの。全体性を踏まえて理想を目指すのが来あるべき形だよ。ところが萌えにおける恋愛は全体性と何のつながりもない。「理想のコならこんな僕でも認めてくれる」って、現実にあり得ない「承認幻想」なの。 宮台氏の議論は非モテ界隈ではよくある「脱オタのすすめ」の一種であり、「萌えに逃避せずに現実(の恋愛)と向き合え」という論調です。「萌えに逃避している」と言われた側は当然反発するわけで、kagami氏のこの記事はこうした「反発」の分かりやすい例でしょう。

    「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/10/01
    因果関係把握度合(一視点or神の視点)、「偶発性(=他者性)に開かれる」≠「性愛的コミュニケーションの成功」
  • 標準語とオタク - 烏蛇ノート

    しばらく放置してましたが、今回は軽めの更新です。シロクマ氏のところの記事に付いたブックマークコメントより。 rumble_pony 在京経験もなく、両親も標準語圏出身じゃないのに標準語を話せる、ニュアンスがいつの間にか標準語寄り。<男女ともにヲタ率高い 元のシロクマ氏の記事は「隠れオタク女性の見分け方」なんですが、それに対して付けられたコメントです。rumble_pony氏は「なぜそうなのか」の理由を書いておられませんが、私自身はこれにしっかり当てはまっています。実際のところ、どこまで当たっているのかは分からないんですが、とりあえず私の場合を書いてみようかと。 私は現在京都に住んでいますが、関西出身の人に対しては標準語寄りの関西弁、それ以外の地方出身(と思われる)人には標準語、と使い分けており、自分の地元の方言を使うことはありません。これは「わざと使わないようにしている」のではなく、「地元

    標準語とオタク - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/09/16
    面白い指摘。「元コミュニケーション不全」「相手との距離感→方言/標準語」文章や接する作品が標準語というインフラに支えられている
  • 「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート

    最近また放置気味ですが、今回は久々に「非モテ」ネタで。 押井徳馬氏のこの記事では、非モテ男性の人達に「とりあえず彼女作れ」とアドバイスすることの無意味さが論じられています。記事の趣旨には全面的に賛同するんですが、問題はコメント欄でのg氏の発言です。 彼女を作る前に女友達を・・・という下りですが、 彼女を持つ事を最終目的とする場合は、 女友達を持つ持たないというのはあまり意味を成さないと思います。 基的に女性は異性に対して友人と恋人を 性的魅力などの要素で厳格にジャンル分けして、 友達のカテゴリにいれられた人は半永久的に そこから脱する事は出来ないようです。 (中略) こういったことを考えると、特に深い意図も戦略もなく、 単純に女友達を作っても恋愛には繋がらないかと。 g氏と同じような主張は、以前Masao氏からもありました。ここでは「好意は必ずしもセックスに繋がらない」ということが述べら

    「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/08/17
    『「恋愛・結婚でなければ自己の承認欲求を満たせない」と考える必要もありません。』
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