寺子屋ゼミでは1936年の二・二六事件と現在の「空気」の近さが話題になった。 統制派と皇道派の対立の賭け金は何だったのか? なにが蜂起した青年将校たちの「政治的正しさ」を主観的には根拠づけていたのか? 資料的なことは私は知らないが、大筋はわかる。 二・二六はテロリズムだから、皇道派の「求めたもの」が浪漫的に脚色されすぎて、見えにくくなっているものがある。 このテロ事件にはもっとリアルなものが伏流していた。 ポストである。 その前年に相沢事件というものがあった。 統制派の首魁、永田鉄山陸軍少将が皇道派の相沢三郎中佐に軍務局長室で斬殺された事件である。 陸軍内部に二つの勢力があり、そのポスト争いは平時に軍人同士が殺し合うほど深刻なものだったというのは冷静に考えるとかなり異常なことである。 ふつうの組織でも、派閥はあるし、ポスト争いもある。 でも、人は殺さない。 軍内部の人事異動(直接には真崎甚