グリーンラッシュ @Talbotoge ここで書いても無駄かもしれないけど、最近の秋葉原はもう最低だ。アニメセンターという公共施設のような場所でさえ、こんなものを平気で売っている。外国の観光客がどんな目で見てるか知ってるのか? 「日本を心底軽蔑する」とある人は言い帰った。 pic.twitter.com/ZadxgfdIXE
ストーリーの書き方 @kakuniha どんなに台詞が面白くても、それが芝居を先へと動かしていかなければ、ただの面白い台詞でおわってしまうことがわかってきた。(ニール・サイモン)出典:amzn.to/1MQinji ストーリーの書き方 @kakuniha 台詞は人物の性格から発せられたものでなければならないと同時に、台詞によってその人物の性格がわかるというものでなければなりません。(内村直也)出典:amzn.to/1CgA4p9
期間限定公式サイト「村上さんのところ」で、村上春樹が Wikipedia を wiki と略しているっぽい記述を以前見かけた。 僕もすぐにものを忘れてしまいます。最近はwikiがあるのでなにかと助かりますが。 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト これだけ読んで彼に「Wikipediaをwikiって略すな」と噛み付いてはいけないのだが(本当にミュージシャンの情報を集積した Wiki サイトを指しているかもしれないし)、これを読んで、もはや村上春樹までそうするなら、「Wikipediaをwikiって略すな」というのはもう諦めなければならないのではないかと思ったりした。 そういえば日清焼そばU.F.O.における保健室の美月先生のプロフィールページにも、「趣味:ネットサーフィン(主にwiki)」とあったな。関係ないけど、このシリーズの山本美月はそれほど魅力的に見えない。 しかし、それよ
相手によって、見せたい自分が違うからである。 ネット上の知り合いなんて、相手によってそれぞれ違う自分の中の20%を、 まるで80%であるかのように見せて付き合うくらいが一番ちょうどよく楽しいと思っていた。 ホーム画面に蓄積されていく、Aさんに対する自分、Bさんに対する自分、Cさんに対する自分…… その複合体が、ぴったり「イコールの自分」になるように振る舞うのって、なんだか息苦しい。 そういうのはネットに求めていないのだ。 けれど、そうしないと、Aさんが、Bさんが、Cさんが私のホーム画面を見たときに きっと「あれっ?」って思ってしまう。 そしてそれで腹を立てたり、切なくなったり、呆れたりする。 やがて「あれっ?」は「おいっ!」になって帰ってくる。 そういうのに、なんだか疲れてしまった。 そんなのは現実でもうお腹いっぱいなのだ。 100%好きになれる人も、100%見せたい人も、100%見せて欲
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