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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (5)

  • イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて

    1. 最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て

    イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて
    Itisango
    Itisango 2010/08/15
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて

    2-2.姜尚中と「民族的自覚」 姜のこうした天皇制(的価値観)の肯定は、姜自身の在日朝鮮人としての「民族的自覚」の否定と対応している。 「かつて作為的に民族的自覚を「ねつ造」せざるをえなかった私は、どこかで「パトリへの情念」を押し殺し、そうすることで民族主義者に脱皮できると思ったことがあった。しかし、身体性を欠いた思想が虚ろなように、パトリなきナショナリズムも虚ろではかない。そこには「根拠地」が欠けているのだ。/確かにその欠落をより積極的な意味へと反転させる回路がないわけではない。ユダヤ的知性に見られるような「意識的パーリア」の道である。だが、私にはどうしてもそれがしっくりとはこなかった。なぜなら、私は余りにもパトリを愛していたからである。/こうして私は、民族を捨て去ることもできず、さりとて、民族から切り離された「パトリへの情念」を手放すこともできないまま、煩悶し、悶々とした日々を送ってい

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて
    Itisango
    Itisango 2009/08/03
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて

    2. 前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて
  • 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ②――本文批判(付記:佐藤優と小林よしのりと「パチンコ問題」) | 私にも話させて

    前置きが長くなったが、今回は、佐高の標題文章の中身を検討・批判する。では、佐高の文章を見ていこう。 誌の読者の中には、佐藤優を登場させることに疑義を唱える人もいると聞く。私も誌の「読んではいけない」で佐藤の『国家の罠』(新潮社)を取り上げ、“外務省のラスプーチン”と呼ばれた佐藤が守ったのは「国益」ではなく、「省益」なのではないかと指摘したことがあるが、省益と国益が一致するとの擬制において行動する官僚だった佐藤は、それだけに国家の恐ろしさを知っている。たとえば、自分は人権派ではなく国権派ながら、死刑は基的に廃止すべきだと考えるという。死刑という剥き出しの暴力によって国民を抑えるような国家は弱い国家だと思うからである。そして、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止したのは、国権の観点から見て、死刑によって国民を威嚇したりしない国家の方が、国民の信頼感を獲得し、結果として国家体制を強化するという認識が

    論評:佐高信「佐藤優という思想」 ②――本文批判(付記:佐藤優と小林よしのりと「パチンコ問題」) | 私にも話させて
    Itisango
    Itisango 2009/06/06
  • 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 | 私にも話させて

    『金曜日』がおかしくなっていることはかなり認知されつつあるようであり、部数も相当低下しているようであるから、もう『情況』のように放置しておこうかと思っていたところだった。 そこに現れたのが、最新号の佐高信の文章である。 佐高信「佐藤優という思想」 http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=630 これについては、用事でばたばたしているうちに小谷野敦に先を越されてしまった。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090601 小谷野の言うように、佐高の一文はあまりにも支離滅裂であり、上の小谷野の批判でとりあえずは十分であるが、これは、注目すべき文章である。なぜならば、これが、『金曜日』が誌で佐藤優を使うことを弁明した、恐らく最初の文章だからである。

    論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 | 私にも話させて
    Itisango
    Itisango 2009/06/04
    『金曜日』なんてつまらん雑誌だと思っていたけど、この文章を見て、久しぶりに読んでみたい気持ちになった。いったい何が起こっているんだ?
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