紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。 近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえな
久々にWiiの投票チャンネルで興味深い結果が出ていたので紹介してみようと思う。 ワールド投票で題目は「2カ国語以上話せる?」。 話せない人が大半という結果は、ほぼ予想通りだったのだけれど、国別の順位はちょっとショックな結果だった。 最も2カ国語以上話せる人が多かった国はルクセンブルク。 Wikipediaによると「言語はフランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語の3つが公用語とされている」とのこと。やはり外国語の習得には環境が大事なのだろう。そう考えると次の結果も納得できるのかもしれない。 2728カ国中、日本は最下位だった。周りには日本人しかいない環境だから仕方がないのかもしれないが、最下位というのはよろしくない気がする。 なお、全体の順位は以下。 1位:ルクセンブルク 2位:フィンランド 3位:ポルトガル 4位:ノルウェー 5位:スイス 6位:デンマーク 7位:オランダ 8位:スウェーデン
「自明」にも「自然」にも賛同できにゃー。と本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去のブクマコメに書きましたにゃ。その理由を考えていたのだけれど。 1)「自明」と「自然」の区別はけっこう厄介 ナチの優生学は一種の科学史上至上主義であり、「自然の鉄則」の自明性に依拠していたということは重要な論点だと考えますにゃ。 2)「ジンケンは自明」では生命至上主義(vitalism)に対抗できない 特に、脳死や中絶などの生命倫理にからむと、ジンケンは自明だ、ではいろいろと困ったことがでてきますにゃ。特に、宗教を背景にした狂信的生命至上主義者がジンケンの自明性をふりまわすという事態があるのだにゃ。掲示板での中絶論争で、僕は実際にこの手のお方をだいぶ相手にしていますにゃ。 3)「ジンケンは自明」では所有権至上主義に対抗できない 私有財産の不可侵というのはジンケン概念として
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