<BODY> <FONT size="+2"><B>ちゆ12歳</B></FONT><BR> <BR> <A href="title.html">最新のニュース</A> </BODY>
「国連安保理が北朝鮮制裁決議」「北朝鮮は完全拒否」というニュース。ふとそっくりな歴史に思い当たる。1933年、日本の満州支配を非難する決議を採択した国際連盟の総会で、かの松岡洋右は堂々と反論文を読み上げ、「さよなら」と叫んで退席したという。日本はそのまま国際連盟を脱退。 世界中から顰蹙を買っていながらよくまあそんな態度で。北朝鮮に対する呆れた気分によって、当時の日本をめぐる国際的な空気が分かるのかもしれない。一方、現在の控えめな外交とは正反対の日本があったことが、なんとも不思議ではある。 ちょうど、半藤一利『昭和史 1926-1945』(ASIN:4582454305) を読んでいたので、余計そんなことを考えた。 この本、読み進んでいくうちにどんどんハマっていく。それと歩を合わせ、日本という国がまた、あれよあれよと戦争の深みにハマっていく。 日本の戦争について基本の歴史くらいは押さえておか
昭和天皇靖国参拝発言について簡単に思うこと書いておきたい。最初に疑問に思ったのは、この文書の出現の経緯である。私が見た最初の報道は日経”昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ ”(参照)であり、それには次のように「日本経済新聞が入手した」とある。 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。 その後、朝日新聞”昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀”(参照)でも見かけ、ネットで読む分にはこちらのほうが記事の量は多い。が、出現の経緯について触れていなかった。富田朝彦氏の親族からどのように報道機関に流れたのかについてジャーナリズムは沈黙しているように思えるのが訝しい。あ
最初から議論ではなく旗幟のみが問われる問題――それこそが疑似問題なのだが――に関わるのはうんざりした気持ちになるのだが、やはり少しばかり言及しておこうと思う。何について? その前にそう思うに至ったきっかけから語りたい。 「日本人とユダヤ人」(参照)にこういう指摘がある。 「朝鮮戦争は、日本の資本家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。 ここでのトピックは朝鮮戦争についてだが、関東大震災における朝鮮人虐殺に
オホーツク海に面した流氷とホタテの町・北海道常呂町(ところちょう)。同町自慢のカーリングホールの中では、トリノ五輪のカーリング女子日本代表を決める熱い戦いが展開されていた。 11月23日、チーム「青森」対チーム「長野」の代表選考会。ゴーッという地鳴りのような音をたてて重さ約19キロのストーン(石)が氷の床を滑り、ゴツンと別のストーンにぶつかる。「イエース」(ストーンを滑らせるため氷上をブラシで掃け)「ウォー」(ブラシで掃くのをやめろ)というスキップの指示に合わせて、ブラシを抱えた2人の選手がストーンを目標へ誘導していく。 リンク内にも設けられた特別席も含めて、満員の約550人の観客は、固唾(かたず)をのんで大一番を見守った。行き詰まる試合が動いたのは、残り2エンドとなった終盤の第8エンド。「青森」のスキップで地元・常呂町出身の小野寺歩(27)のショットが勝敗の行方を決めた。小野寺が投げ、リ
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