大飯原発再稼動をめぐり世の中が落ち着かない頃、最近パパになったアサイさんが冬に娘さんを凍えさせたくない、と真摯に案じていましたところ「電気が無ければ薪ストーブを使えばいいじゃない」との発言が。みんなそれぞれが色んな人と色んなことについてやりとりしていたのですが、薪ストーブを芯にまとめてみました。ボットン便所とか西成とか小学校の木の机とか迷走してた話が面白かったんだけど、手に余りましたのでこんな感じで。
2007年1月、同志社大学の教員だったころ、ルネサス テクノロジ(現ルネサス エレクトロニクス)のある幹部に呼び出されたことがあった。その幹部は、私に「執筆や講演活動を止めろ」と説教を始めた。 大学教員に「書くな、話すな」と言うことは、「仕事をするな」と言っているに等しい。大学教員でなくとも、日本には言論の自由がある。公共の福祉に反しない限り、その自由は憲法で保障されていることだ。 当然、私は、「執筆も講演も止めません。なぜそんなことを言うのですか?」と反論した。以下、その幹部とのやり取りである。 「あいつが日本半導体をミスリードした」 「君は、事実を歪曲しているからだ」 「私はそうは思いません。もし仮に“歪曲”しているとしても、それは読み手が判断すればいいことです」 「違う! そういう考え方が日本をミスリードするのだ!」 えーっ! ミスリードだって? 私としては自分の発言が、それほどイン
福島第一原発事故以降、「御用学者」と罵声を浴びせられたこともある菊池 誠教授。それでも彼が発言を続けた理由とは? あらゆる情報が錯綜し、安全なのか危険なのか、それどころか何が起こっているのかさえよくわからなかった福島第一原発事故の直後、「直ちに健康に影響はありません」という“大本営発表”に心から安心できた人はどれほどいただろうか。そんななか、ツイッターでより正確な情報発信を試みた何人かの科学者がいた。 そのひとりが、大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠氏だ。特にインターネット上や週刊誌上で飛び交う、科学的根拠やソースの怪しい危険情報について、彼は「それはおかしい」「真実ではない」と注文をつけ続けた。そんな姿勢に“御用学者”と罵声を浴びせる人たちもいたが、それでもなお発信をやめなかったのは科学者としての責務か、それとも人としての正義感だったのか―。 *** ■とんでもないことを言う“
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