身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜 - たまごまごごはん を読んで考えたことメモ。 なぜ身体欠如少女に萌えるのか。 そこに物語を想起するからではないか、と思った。身体が欠如した少女のイラストは、さまざまな想像をかきたてる。どうして欠如しているのか、どんな人生を送ってきたのか、彼女自身はそれをどう思っているのか。そうやって物語を考えるのが、妄想するのが、とても気持ちいいのではないか。 たとえば「エロ」いだけのイラストを見ても萌えないのは、ただの「エロ」では物語が想起されないからだ。萌えるイラストと萌えないイラストの違いは、物語を想起させるかしないかなんじゃないか。妄想の快楽っていうのかな。物語を想像するのって気持ちいい。黒歴史ノートにしろ、邪気眼にしろ、誰にでも経験はあるはず。 つまり「萌え」とは、物語の想起、妄想の快楽なのではないか、ということ。 たくさんの物語に触れていて、
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