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佐々木俊尚に関するJack_all_rightのブックマーク (3)

  • ウィキスキャナーで暴露された「情報操作」を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    ウィキペディアへの情報操作は何が問題なのか ウィキペディアでの「情報操作」ととられかねない編集行為がウィキスキャナーによって暴露され、問題になっている。朝日新聞や産経新聞などに取り上げられ、特に注目を集めているのは政府官公庁内部から編集が行われていた問題だが、しかし大企業やマスメディアが自社に関係するテーマについて項目を書き換えていたケースも多数報告されており、まとめサイトも登場してきている。 省庁職員が情報操作まがいの編集行為を行っていたことに対する批判は、次の三つのポイントに大別される。 (1)ウィキペディアの編集に当事者である官僚が参加すると、ウィキペディアの公平性が損ねられるのではないか。 (2)官僚が自分の属する省庁に有利なことを書くことは倫理的に許されない。 (3)官僚が自分の職務時間にウィキペディアの編集に参加しているのは職務怠慢ではないか。 第一の公平性の問題。ウィキペディ

    ウィキスキャナーで暴露された「情報操作」を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
    Jack_all_right
    Jack_all_right 2007/11/26
    要再読。ウィキペディアの信頼性についてはアカデミックなものに限ればO。しかし慰安婦問題で英語ページの数字がかなり操作された上に保護されたということを池田氏が指摘しているので、見過ごせない問題だ。
  • 毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題:CNET Japan ブログネットワーク

    少し古い話になるが、毎日新聞が元旦の紙面で「ネット君臨」という年間企画連載をスタートさせた。この連載をめぐって、ネットの世界からは激しい批判が巻き起こったのは記憶に新しい。 私もこの連載を通して読んでさまざまな感想を抱いたが、その感想についてはとりあえず別の機会に書いてみたいと思う。ここでは、「ネット君臨」がもたらした「取材」という行為の正当性と可視化についての問題について、少し考えてみたい。「ネット君臨」における取材行為は、その問題を考えるための格好のケーススタディになっているように思われたからだ。そこで記録として、若干の取材結果も踏まえてこのブログにその経緯を記しておこうと思う。なお最初に記しておくが、この経緯はあくまでもがんだるふ氏の側から見た一連の経緯であって、毎日新聞サイドには現時点では私は取材していない。したがってエントリーの内容が、かなりがんだるふ氏に拠っていることをお許しい

    毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題:CNET Japan ブログネットワーク
    Jack_all_right
    Jack_all_right 2007/11/26
    言論のCredibility。ネット社会においては匿名かそうでないかは本質的には問題ではないということ。がんだるふ氏の考えには共感するものがある。これについては後でまとめてみたい。
  • 新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    新聞の<われわれ>とはいったい誰か ジャーナリストの玉木明氏は、オウム真理教事件の直後に刊行された「ニュース報道の言語論」というで、新聞記事の主語は、実は文面にはいっさい出てこない「われわれ」であると書いている。たとえば、次のような記事の文例を見てみよう。「強引とも言える捜査は、小さな山村の集落の住民を相互不信に陥らせ、人のつながりを壊した。警察への憤りも広がっている」(二月二十三日、鹿児島県議選買収無罪判決の記事から)。この記事で警察に憤っているのは、誰なのか。ここで憤っているのは、実は書いた記者個人という「わたし」なのだが、しかし記事の文脈では「私が憤った」とは書かれていない。あくまでも社会全体の「われわれ」であるというスタンスを取って書かれているのだ。玉木氏は前掲の書籍で、以下のように書いている。 ある特定の観点を<われわれ>の観点とみなすこと、特定の主張を<われわれ>の名において

    新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
    Jack_all_right
    Jack_all_right 2007/11/26
    メディアのこれからの動きという意味では興味深い。大手新聞の論点はどうなるのか。アメリカのように新聞の多様化が始まるのか。
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