無投票で4選を果たしたものの、「申し訳ありません」とわびる兵庫県明石市の泉房穂市長=2019年4月14日午後5時10分、浜本年弘撮影 任期満了に伴う兵庫県明石市長選は14日告示され、現職の泉房穂(ふさほ)氏(55)=無所属=が無投票で4選を決めた。部下への暴言問題による辞職後の出直し選(3月17日投開票)で大勝してから1カ月足らずで、対抗馬は出なかった。市選管などによると、明石市長選での無投票は戦後初。 泉氏は2017年6月、交通事故対策のた…
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大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43歳。多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。 西村玲(りょう)さん、2016年2月2日死去。 東北大学で日本思想史を学んだ。江戸中期の普寂(ふじゃく)という僧侶に注目した仏教の研究で、04年に博士(文学)に。都内の多摩地区にある実家に戻って両親と同居しながら、研究に打ち込んだ。 翌05年、日本学術振興会の「SPD」と呼ばれる特別研究員に選ばれた。採用された人に月額約45万円の研究奨励金を支給する制度だ。「これで(研究で使う)本がバンバン買える」と、両親に喜びを伝えた。「もらったお金の分は、研究成果で返さないといけない」 年に論文2本、学会発表4本。自らにノルマを課し、経典などを大量に運び込んだ2階の自室にこもった。数少ない息抜きは両親と囲む食卓。箸を動かしながら、研究の内容を早口で熱く語った。「覚えたこ
2017年の11月、私は自分の髪の毛をバリカンで刈った(左写真がその時のもの)。 理由はもちろん、日本で女性が押し付けられる画一的な「女性らしさ」に抵抗したかったからだ。 と言えたらカッコいいのだが、本当は「目立つにはどうしたらいいですか?」と知人でジャーナリストの津田大介さんに相談したところ、「見た目を変えると認知してもらいやすいよ」とアドバイスをもらったからだ(後日「まさか本当にやるとは」と言われたが)。 実は私は高校1年生のときにも一度坊主にしたことがある。部活の同期で、親友だった子が髪の抜ける病気にかかってしまい、「じゃあ私も」と髪を刈った。 当時も周囲からは驚かれ、学校の先生からは叱られたが、それが逆に「自分らしい髪型とは?」を考えるきっかけにもなった。 あれから10年。世間も変わっているだろう —— と坊主に踏み切ったが、大きな誤解だった。
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