徳川慶喜(とくがわよしのぶ、1837年~1913年)は、江戸幕府第15代将軍であるとともに、江戸幕府「最後の将軍」として多くの人に知られています。 徳川慶喜が亡くなってからまだ100年余り。 普通に考えれば事績や考え方などが伝わり、評価もある程度は定まっていてもおかしくない人物のはずです。 しかし、徳川慶喜については評価が定まっていないようです。 評価がないわけではありません。評価はされているけれど、その評価が正反対に分かれていて、評価をすることが厄介な人物。 それが徳川慶喜です。 どうして、徳川慶喜は評価が定まらないのか、何か理由があるのでしょうか。この記事では、徳川慶喜の評価が定まらない理由を考えてみました。 徳川慶喜の評価が定まらない最大の理由とは 徳川慶喜は1913年(大正2年)73歳で亡くなります。 しかし、徳川慶喜が歴史の表舞台にあったのは慶応から明治へと年号が変わるころまでで
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