東京の世田谷区内に東急電鉄の廃線が存在します。二子玉川から西へ延びていた砧(きぬた)線です。砂利や人を運んでいましたが50年前に廃止され、現在はその跡が道に変わっています。歩いてたどりました。 関東大震災後の復興を支えた 首都圏有数の混雑路線である東急電鉄の田園都市線。このうち渋谷~二子玉川間は、かつて玉川線(玉電)という名前で路面電車が地上を走っていました。還暦を迎えたくらいの人でしたら子どものころの記憶にあるかもしれません。その玉電も、さらにかつては多摩川で採れる砂利を運ぶ路線だったということを知る人は、より高齢の方に限られることでしょう。 拡大画像 東急砧線の廃線跡は、一部区間が歩道と自転車道に変わっている(2019年4月、河嶌太郎撮影)。 玉電の砂利輸送を特に支えていたのが、東京都世田谷区内の二子玉川園駅(駅名は玉川、二子読売園などの期間あり。現在の二子玉川駅)と砧本村(きぬたほん