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  • 「万世橋北詰の暗渠 真島町雨水幹線」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2024年09月01日06:00 カテゴリ秋葉原 ま行施設 「万世橋北詰の暗渠 真島町雨水幹線」 【暗渠情報】 暗渠名:真島町幹線/真島町雨水幹線 近年「ブラタモリ」の影響もあり、暗渠(あんきょ)という言葉・意味が一般的に知られるようになった。前提として暗渠の対義語は明渠(開渠)であるが、これは流れが見える一般的な川や水路であり、秋葉原周辺では神田川がその一例である。これに対して暗渠とは流れが直接的に見えない川、つまり何かしらの形で流れが閉ざされたことで水面が確認できない川が広義的な暗渠であり、その理由や蓋の構造は様々である。秋葉原周辺にも暗渠はあるが、今回はその一つで神田川へと繋がる「真島町雨水幹線(真島町幹線)」について述べていく。 【万世橋の北詰と南詰】秋葉原の南側に位置する神田川に架かる万世橋、現在の橋は関東大震災後の帝都復興事業の一つとして1930年(昭和5年)に架けられた。万世

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  • 「外神田の大時計 京屋時計店本店時計塔」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2023年08月20日06:00 カテゴリ秋葉原 か行施設 「外神田の大時計 京屋時計店店時計塔」 【時計塔情報】 時計塔名:京屋時計店店時計塔 場所:神田旅籠町1-13(現・外神田3-12-8の辺り) 設置年:1875年(明治8年)または1876年(明治9年)頃 解体年:1913年-1914年(大正2年-大正3年)頃 出典『明治・東京時計塔記』(1958) 【秋葉原と時計】電気店における時計はかつて主要商品であった。白物家電を始めとしてカメラと時計、特に腕時計は店内の目立つ場所に置かれ、また1970年代から1980年代の広告やテレビCMでは需要の高い腕時計をセール商品として積極的に売り出していた。電気街である秋葉原でも時計は多くの電気店で取り扱いをしており、中には自社ビルを建設する際、ミナミ無線(現ドン・キホーテ秋葉原店の建物)のからくり時計、T-ZONE店(現TSUKUMO eX

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  • 「喫茶店 東洋」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2014年06月19日06:00 カテゴリ秋葉原 た行飲店 「喫茶店 東洋」 【店舗情報】 店舗名:喫茶店 東洋 場所:東京都千代田区外神田4-4-2 共益外神田ビル地下1階 開業日: 閉業日:2004年1月12日 【世界初ブロードバンドカレーの誕生】 喫茶店東洋(以下:東洋)という名を聞けば殆どの人が「ブロードバンドカレー」を思い浮かべるであろう。2001年10月、秋葉原の中でも早々に無線LANホットスポット(イーアクセスのADSL1.5Mbps/実際の速度は800kbps前後を計測)を設置、そして東洋の売りがカレーであったことからカレーべながらインターネットを楽しむという事で世界初のブロードバンドカレーが誕生した。 なぜ東洋で無線LANホットスポットが設置・提携されたのか、これには2つの要因がある。まず一つは無線LAN設置協力元である日IBMと東洋の関係である。当時「T-ZON

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  • 「秋葉原中心部の公園 芳林公園」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2014年06月27日06:00 カテゴリ秋葉原 は行施設 「秋葉原中心部の公園 芳林公園」 【施設情報】 施設名:芳林公園 場所:千代田区外神田3-5-18 開園日:1930年 閉園日:開園中 【関東大震災、そして芳林小学校との関係】 1923年(大正12年)9月1日に発生した相模湾を震源とする関東大震災、10万5千人の死者・行方不明者を出したこの震災は現在の秋葉原を含む神田区も大きな被害を受け、特に南の神田方面や東の蔵前方面からの延焼は凄まじく、秋葉原一帯は焼け野原となった。大きな傷跡を残した関東大震災という未曽有の災害の教訓として国は震災後に帝都復興院を設立、そして被災地の復興や土地区画整備のために打ち出した震災復興再開発事業の一環として都市計画の「震災復興52小公園」が施行された。これは災害時などの火災による延焼をい止めるための防火帯・防災用緑地、さらには一時避難場所確保の必要性

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  • 「外神田(秋葉原地区)の旧町名 変遷と町名の由来」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2021年01月17日06:00 カテゴリ 「外神田(秋葉原地区)の旧町名 変遷と町名の由来」 【住所表示情報】 場所:外神田一帯(1丁目-6丁目) 変更日:1964年(昭和39年)12月1日 町名(地名)とはその地域の歴史を表している。山や川などの地形や地質、気候や風土、商業・農業といった町の産業や産物、寺社・城の存在や近隣地域との関係、住民の地域に込めた願いや期待、さらに洪水やがけ崩れといったかつて発生した災害など町名の由来は多岐に渡る。言わば町名とは「土地に刻まれた歴史」であり、町名の由来を知ることは町の歴史を知ることに繋がる。今回の記事では外神田の住居表記が誕生する前、つまり1964年以前の秋葉原地区の旧町名を記し、同時に旧町名から秋葉原地区の歴史を探っていく。 【現・外神田1丁目】[神田相生町(南西側)]現在の神田相生町周辺では江戸時代初期まで寺社と武家屋敷が見られたが、1699

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  • 「秋葉原の高低差 本郷台地と神田山」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2020年02月23日06:00 カテゴリ秋葉原 は行 「秋葉原の高低差 郷台地と神田山」 【台地情報】 名称:郷台地 JR秋葉原駅の標高(海抜)は4メートル前後である。昭和通り口(東側)は3.5メートル、電気街口(西側)は4メートルであり、中央通りの万世橋交差点や外神田五丁目交差点(末広町交差点)もほぼ同じで秋葉原から北側の上野方面も高低差なく望むことができる。このように秋葉原周辺を地形の面で見るとほぼ平坦に造られているが神田明神側、つまり西側については明らかに異なり、秋葉原から神田明神を見ると丘の上に鎮座しているように見える。何故秋葉原の西側だけ標高が高いのか、地形の面から秋葉原の歴史を探る。 【武蔵野台地について】東京都青梅市の多摩川を頂点として広く扇状地状を形成する武蔵野台地、関東山地との境を西端で繋がるこの台地は東京都心部まで広がっており、古くは太田道灌が江戸城を築城、また徳

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  • 「石丸電気 秋葉原地区の歴史と店舗変遷」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2020年07月26日06:00 カテゴリ 「石丸電気 秋葉原地区の歴史と店舗変遷」 【店舗情報】 店舗名:石丸電気 場所:外神田1-9-4(店) 開業日:1945年3月 閉業日:2012年9月14日(石丸電気秋葉原店転換)/2013年3月20日(エディオン秋葉原店) 【石丸電気について】「石丸 石丸 電気のことなら石丸電気」のテーマソングで知られる石丸電気は関東地方を中心に展開していた家電量販店である。特に創業地でもある秋葉原では店以外に大型店舗・修理センターなどを多く構えており、「石」をモチーフとしたロゴマークが書かれた看板が秋葉原各所に掲げられていた。秋葉原を含めて石丸電気の全店舗は既に閉店・転換しているが、秋葉原が世界有数の電気街として誕生し、発展していく中で石丸電気はその一翼を担ってきたことは事実であり、今回の記事では石丸電気の概要と秋葉原地区の店舗変遷を記していく。 【

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  • 「老舗電気店オノデン 歴史と店舗変遷」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2018年03月18日06:00 カテゴリ秋葉原 あ行電気店 「老舗電気店オノデン 歴史と店舗変遷」 【店舗情報】 店舗名:オノデン 場所:外神田1-2-7 開業日:1951年6月 【小野電業社の誕生】 秋葉原に店舗を構えるオノデンの創業者である小野仁助氏は小売商の経験を生かし1941年(昭和16年)に台東区三ノ輪で独立、そして1951年(昭和26年)6月30日、オノデンの前身である小野電業社を設立し秋葉原に進出を果たした。 【オノデンの成長】 設立翌年、小野電業社は早川電機(現・シャープ)や東京芝浦電気(現・東芝)、以降は松下電器(現・パナソニック)など主要電気メーカーと代理店契約を締結し、1950年代はナショナル蛍光灯やマツダ電球といった照明機器の広告を店頭看板に掲げていた。当時通称として電車通り(万世橋通り)と呼ばれていた現在の秋葉原中央通り沿いには高層建築物は殆ど見られなかったが、

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  • 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog) : 「ラオックス ザ・コンピュータ館とAKIBAカルチャーズZONE」

    2015年03月22日06:00 カテゴリ秋葉原 ら行・わ~ん電気店 「ラオックス ザ・コンピュータ館とAKIBAカルチャーズZONE」 【店舗情報】 店舗名:ラオックス ザ・コンピュータ館 場所:千代田区外神田1-7-6 開館日:1990年4月29日 閉館日:2007年9月20日 施設名:AKIBAカルチャーズZONE 開業日:2011年7月1日 【神尾病院と三神ビルへのラオックス参入】 秋葉原にはかつて神尾病院(現・神尾記念病院)という病院が存在した。神尾病院は1911年(明治44年)1月、神田金沢町(現・外神田3丁目)に開所した耳鼻咽喉科の診療所が前身で1917年(大正7年)1月に神田旅籠町(現・外神田1丁目/外神田1-7-6)に移転した上で神尾病院に改称、長く秋葉原を代表する病院であった。 また家電量販店のラオックスは音響機器・オーディオ機器の需要の高まりを受け、1978年(昭和5

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  • 「コミックとらのあなの創業と秋葉原地区における店舗変遷」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2014年07月01日06:00 カテゴリ秋葉原 か行アニメ・ゲーム同人誌店舗 「コミックとらのあなの創業と秋葉原地区における店舗変遷」 【店舗情報】 店舗名:コミックとらのあな秋葉原店A/コミックとらのあな秋葉原店B/コミックとらのあな秋葉原店C 場所:【A店・B店】千代田区外神田4-3-1/【C店】千代田区外神田3-13-8 東京角田ビル3階・4階 開業日:1994年(平成6年)6月17日 【同人誌が秋葉原の地に】 90年代中期、秋葉原は電気街の色が強く現在のようなアニメショップやゲームショップは殆ど存在していなかった。そのような中、ソフマップ出身で「株式会社虎の穴」(店名はコミックとらのあな)創業者で現社長の吉田博高氏は秋葉原の地に同人ショップを開店させる。1994年(平成6年)6月17日創業の「コミックとらのあな(会社名は株式会社「虎の穴」)」の店舗の由来は1960年代後半から1

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  • 「交通博物館」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2015年01月04日06:00 カテゴリ秋葉原 か行施設 「交通博物館」 【施設情報】 施設名:交通博物館 場所:千代田区神田須田町1-25 開館日:1936年4月25日 閉館日:2006年5月14日 【鉄道博物館の誕生と神田須田町への移転】 1911年(明治44年)5月4日、内閣直属機関である鉄道院初代総裁で後に帝都復興院総裁や内務大臣等を務めた政治家、後藤新平の提案を受け鉄道関連資料・物品・書籍等を収集することを目的とした鉄道博物館掛(後の鉄道院総裁官房研究所や鉄道技術研究所/現・鉄道総合技術研究所)が鉄道院内に設置された。設置当初は各種鉄道関連品を収蔵するのみであったが、1921年(大正10年)10月14日、鉄道開通50周年記念事業の一環として東京駅北側付近に仮施設を建設し、「鉄道博物館」という名称で公開を行った。10日間限定の公開であったが約58万人の来館者があった。 しかし19

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  • 「秋葉原中央通りの名称変遷と御成街道架道橋」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2016年11月20日06:00 カテゴリ秋葉原 た行施設 「秋葉原中央通りの名称変遷と御成街道架道橋」 【道路情報】 道路名:東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線(中央通りの一部) 場所:万世橋交差点から目白台二丁目交差点 【橋情報】 橋名:御成街道架道橋 場所:外神田1丁目 架橋日:1932年(昭和7年)7月1日 秋葉原の中央通りは老舗電気店を始め、アニメ・ゲーム同人誌などのサブカルチャー系店舗やアミューズメント施設(ゲームセンター)などが立ち並ぶ秋葉原のメインストリートである。かつてこの通りは江戸幕府徳川歴代将軍が利用し、明治中期から昭和中期までは路面電車が走る通りであった。 【御成道の誕生】 1625年(寛永2年)、京都の比叡山延暦寺に倣い江戸城の鬼門の方角(丑寅/北東方面)を封じることを目的として現在の上野恩賜公園一帯に家康・秀忠・家光の三代に渡って帰依した天海を初代貫主に置き東叡

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  • 「三桜電気を前身とするゲームショップ メッセサンオー/トレーダー」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2016年07月03日06:00 カテゴリ秋葉原 た行アニメ・ゲーム同人誌店舗 「三桜電気を前身とするゲームショップ メッセサンオー/トレーダー」 【店舗情報】 店舗名:メッセサンオー/トレーダー 場所:外神田3-14-8(メッセサンオー店)/外神田3-14-10(トレーダー秋葉原店) 開業日:1990年(メッセサンオー)/1999年3月(トレーダー) 閉業日:2012年1月14日(メッセサンオー)/営業中(トレーダー) 【メッセサンオー・トレーダーの前身 三桜電気から三桜】 外神田三丁目の秋葉原中央通り沿いには長く「三桜電気(三桜無線)」が存在していた。三桜電気は外神田三丁目の一部が神田金沢町であった1950年代には既に営業を行っていた電気店で無線やラジオ部品から始まり、1970年代以降は冷蔵庫や洗濯機などの家電製品を主に販売していた。 1983年(昭和58年)に発売開始された家庭

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  • 「アキハバラデパート アキデパフジヤマ計画を振り返る」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2018年06月17日06:00 カテゴリ秋葉原 あ行施設 「アキハバラデパート アキデパフジヤマ計画を振り返る」 【店舗情報】 店舗名:アキハバラデパート(アキデパフジヤマ計画) 場所:外神田1-17-6 改装日:2002年3月18日 終業日:2002年12月31日(ネットショップ閉鎖日/実店舗閉店は段階的) 【アキハバラデパートの誕生】 1951年(昭和26年)11月に開業した秋葉原の駅ビルである「アキハバラデパート」では泰道グループ(後の泰道リビング)の株式会社秋葉原会館(後の株式会社秋葉原デパート→株式会社秋葉原/1950年12月25日設立)が運営元として施設内では日用品店・生活雑貨店・飲店などが営業を行っており、後に衣服店や書店など様々な店舗が入居する複合的な商業施設となった。 【アキデパフジヤマ計画までの動き】 電気街として発展を続けてきた秋葉原であったが90年代からアニメ・

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  • 「神田末広町 地名の由来と末広町駅」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2016年01月31日06:00 カテゴリ秋葉原 か行施設 「神田末広町 地名の由来と末広町駅」 【地名情報】 地名:神田末広町 場所:現在の外神田三丁目の5~10番地、14~16番地 制定日:1869年(明治2年) 【上野戦争、彰義隊と新政府軍との戦い】 鳥羽・伏見の戦いで敗れた旧幕府軍の一部は江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜を警護することを目的とした彰義隊を1868年(慶応4年/明治元年)2月23日に浅草東願寺で結成した。1868年(慶応4年/明治元年)4月11日の江戸城無血開城以後、徳川慶喜が江戸から水戸へ謹慎することについて彰義隊内部で亀裂が発生し頭取の渋沢成一郎は脱退、以降抗戦派の副頭取の天野八郎が実権を握ることになり、彰義隊内で新政府軍との抗争意識が強まっていった。 3000人を超える部隊となり江戸で勢力を増していた彰義隊は江戸治安維持行動を口実に幕府復興を目指し更なる強硬な活

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  • 「秋葉原に浮上した第2東京タワー(現・東京スカイツリー)構想を振り返る」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2017年12月17日06:00 カテゴリ秋葉原 た行施設 「秋葉原に浮上した第2東京タワー(現・東京スカイツリー)構想を振り返る」 【施設情報】 施設名:第2東京タワー(秋葉原タワー/アキバタワー) 場所:現在の秋葉原クロスフィールド周辺 【第2東京タワー建設計画】 1958年(昭和33年)12月23日に完工した「東京タワー」、在京テレビ局を中心とする電波塔として長くその役目を担ってきたが、地上デジタル放送への転換における諸問題および周辺に高層ビルが建てられ今後も同様のビルの建設予定があることから電波障害の問題もあり、1990年代後半から東京タワーに替わる高層電波塔の建設が強く求められていた。 【誘致活動と秋葉原】 新東京タワーや第2東京タワー構想と呼ばれた計画・誘致活動は東京都だけでなく隣県にも広がりを見せた。東京タワーを運営する日電波塔が1998年(平成10年)9月に東京タワーの隣

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  • 「通称と住所表記の秋葉原 千代田区外神田と台東区秋葉原」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2017年11月05日06:00 カテゴリ秋葉原 あ行 「通称と住所表記の秋葉原 千代田区外神田と台東区秋葉原」 【地名情報】 地名:台東区秋葉原 制定日:1964年(昭和39年)10月1日 【秋葉原の誕生】 秋葉原の地名の由来は1869年(明治2年)12月12日に神田相生町で発生した大火が第一の契機となる。神田相生町20番地(現・JR秋葉原駅北側)に住む塗師・金次郎宅から出火した火災は周辺11町へ延焼、建物約1,100棟が被害を受け1名の死者を出した。この火災により焼失した一帯は今後火災時に延焼を招かないよう約9,000坪(約29,750平方メートル)の火除地の機能を持たせた空き地として整備され、翌年10月には鎮火神社(鎮火社)が設けられた。周辺住民はこの鎮火神社を火伏せの神である秋葉神社(秋葉大権現)を勧請したものだと勘違いし、秋葉神社のある原っぱとして一帯は秋葉が原/秋葉っ原と呼ばれ

    「通称と住所表記の秋葉原 千代田区外神田と台東区秋葉原」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)
    John_Kawanishi
    John_Kawanishi 2017/11/05
    「1964年(昭和39年)10月1日の住所表記実施により台東区側の練塀町・松永町が合併し新しい町名として台東区秋葉原が誕生、これにより長年一帯の通称や駅名であった秋葉原が住所として正式に採用された」
  • 「秋葉原、地名の由来」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)

    2015年07月19日06:00 カテゴリ秋葉原 あ行 「秋葉原、地名の由来」 【地名情報】 地名:秋葉原 場所:千代田区外神田1丁目から6丁目を中心とする地域の通称および台東区秋葉原 【江戸時代の大火と明治2年の火災】 江戸時代、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるほど幾多の大火発生と火消しの活躍が目立った。神田旅籠町(現・外神田1丁目)の足袋店明石屋から出火した1760年(宝暦10年)2月6日の「宝暦の大火」を始め、神田佐久間町の材木小屋の失火が原因となった1829年(文政12年)3月21日の「文政の大火(己丑火事/死者約2,800人)」や同じく神田佐久間町から出火した1834年(天保5年)2月7日の「天保の大火(甲午火事/死者約4,000人)」など現在の秋葉原やその周辺が出火元で多くの死傷者を出した大火もあった。特に神田佐久間町は材木商や炭薪問屋が多く、一度火災が発生すると燃え広がりや

    「秋葉原、地名の由来」 : 秋葉原歴史記事(mouseunit's Blog)
    John_Kawanishi
    John_Kawanishi 2017/11/05
    「火除け地にある火伏せ神社の名称は造営当時から鎮火神社であるが秋葉大権現の勧請であると誤解していた神田の住民は「秋葉神社」や「秋葉様」と呼んでいた」
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