1945年3月の大阪大空襲は米軍の無差別爆撃ではなく、住宅地を狙い撃ちにした住民標的爆撃だったことが、日本の空襲史を研究する中山伊佐男さん(80)=東京都豊島区=の調査でわかった。従来は工場や住宅などを区別せず無差別に爆撃したため多数の非戦闘員が犠牲になったとされていたが、米軍資料を分析する中で、焼夷(しょうい)弾攻撃が有効な木造住宅の多い住宅地にのみ狙いを定めていたことが新たに判明した。大空襲から間もなく65年を迎えるのを前に、大阪地裁で審理が進む大阪空襲訴訟にも一石を投じることになりそうだ。【松本泉】 大阪大空襲は45年3月13~14日未明に、米軍のB29爆撃機274機が来襲。大阪市浪速区、西区、南区、港区などに超低空から焼夷弾を投下した。約4000人が犠牲になり、50万人が被災、焼失した家屋は13万6000戸に及んだ。 大阪大空襲については従来、住居や軍事施設、工場などを区別しない無