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独立行政法人日本学生支援機構-JASSOというのは、日本育英会が変身したものであることを、けっこう最近になって知った。日本育英会の奨学金というのは、かつて大学院に進学した者にはたいへんありがたいものであって、私たちの頃で月に修士6万円、博士7万円という金額がいただけた。しかも、免除職という制度があり、学校教員などになり、一定年限勤め上げた場合には返却を免除されていた。 こういう奨学金があったから、自分は大学院に迷うことなく進学できたと思う。私たちの頃は、団塊ジュニア対応の臨時定員増というのがまだない時代だったこともあり、就職の見通しなどはなかった。でも、免除職に就くまで待ってくれというのはけっこう待ってくれ、でもって何年かするとけっこう就職があったりして、その結果有能な教員や貴重な研究成果が世に出たというのも、少なからず眼にしてきた。 これが今は、カチンコチン競争原理になっている。奨学金の
2009/3/111:40 墨田区のとある居酒屋で 今頃西原熱再加熱。漫画買い漁ってる。 ヤングサンデーでちくろ幼稚園読んでたのは20歳ぐらいの頃だったかな。 あの頃は渋谷の学校に通いながら20歳という年齢をもてあまして、毎日くだらない生活を送ってて、目新しい発明と言えばスト2の誕生だった。 居酒屋でバイトしながらスロットばっかりやってて、居酒屋の板長は気が短くて鼻ひんまがってて、料理ができる度に厨房から「はい! おま○こ一丁!」と叫ぶ。 何が出来上がっても「おま○こ一丁!」と叫んだ。 宮内庁で料理を作った事がある、というのが板長最大のキャリアだった。 僕はたまに揚げ場に入るのと皿洗い以外はホールを担当していた。 その店の自家製さつま揚げは、白身の魚や貝などをすり鉢ですり潰すところからきちんと作る、ごく厚のもので、今でもそのさつま揚げを超えるものを食べたことがないぐらいに美味しかった。 た
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