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ブックマーク / kokokubeta.livedoor.biz (4)

  • 広告β:課金の心理面を考える

    買い物に関する調査をどこかで見たことがある。買い物におけるストレスというもの。そこで自分が驚いたのは、レジがストレスになっているということだった。もちろん、レジに並ぶのは面倒だし、待つのでストレスだ。しかしストレスはそこにだけあるのではない。「お金を払う」という行為がストレスなのだ。持ち金が減るからストレスなのだという話ではない。 お金を払うことの意味が、だんだん重くなっていると思う。というのも、選択やら検討はどんどん自由度が高まる分だけ、それを一気に収束させる「支払い」の持つ意味が大きくなるからだ。多くの商品が「選び得て」、大きな流行がなくなり「個人の自由に判断できる」ようになれば、それだけそれを「終わりにする」ことの意味が大きくなる。選択肢が多くなるほど、人は判断を保留させがちだという話も聞いたことがある。それは、決めることの意味が大きくなってしまうからだ。大きなダムの出水口には、大

    KQZ
    KQZ 2009/07/29
    「時間差」はiPhoneアプリでよくある。「二人養える」は初期のポストペットクライアントの売り方。広告という分野から離れてみればさほど新しいことを言っているわけではない。
  • 広告β:別注というものづくり

    90年代、エアマックスとかエアジョーダンとか、そういったスニーカーがとても流行して、社会現象にまでなったことがあった。そしてその当時、有名なスニーカーショップがナイキなどのメーカーに色・柄などの特殊な要望を入れて、オリジナルモデルをメーカーが作ることがあった。これは「別注モデル」と呼ばれていて、とても人気があった。そのショップでしか売られないという希少性だけではなくて、専門ショップならではのセンスの良さが反映されていて、これまたプレミアがついていた。都心に住んでいたわけでもない私は、当時インターネットも当然なくて、手に入らずうらやましく思っていた覚えがある。 そのあと「別注」の流れはアウトドアジャケットやバッグ、さらにそれ以外のファッションアイテムにも波及した。いまは、ビームスやシップス、アローズのほかにもたくさんセレクトショップがあって、それらショップが自分たちのセンスを生かしてメーカ

    KQZ
    KQZ 2009/05/07
    Willという実験が昔ありまして(以下略)/ amadanaとか無印良品のファブレスなあり方も一つの手だてだと思う。
  • 広告β:広告が環境に溶けていく日

    しばらく前から自分はゲームについてのを読みあさっている。それは私がゲーマーであるからではなく、何となくこれからの広告の道を示唆する何かがゲームというものに潜んでいると考えていたからだ。もちろんそれはテレビゲームの中に企業名を仕込むとか、そういうことではない(いわゆるゲーム内広告)。もっと大きなところで、広告のメッセージ構造の転換があると考えている。 とても示唆的な言葉が斉藤由多加氏の著書「ハンバーガーを待つ3分間の値段」に書かれていたので、長いけれども抜粋する。 ゲームの企画者の意志やメッセージはどこに表現されているのでしょうか。それは、実は、「枠組み」そのものに込められているのです。(中略)『シムシティー』というゲームはシミュレーションのお手というべき名作です。(中略)悪化した住環境を改善するには・・・?その答えは「公園を作ってやる」ことです。(中略)このゲームのプレイヤー達はや

    KQZ
    KQZ 2008/05/06
    エデュテイメントという一言ですむ話を長々としている。
  • 広告β:距離感という価値軸

    又聞きだが、先日おもしろい話を聞いた。「リアル」に関してだ。 かつて、主に「リアル」は、「バーチャル」の対義語として使われていた。 ところが最近は「バーチャル」の対義語は主に「フィジカル」となり、両方に対して 「リアルである」ということがいえるらしい。 だから、ゲームでもケータイ小説であっても、見た人の主観的判断として 「リアル」という言葉を使うことはおかしいことではないのだそうだ。 辞書的な意味合いでいっても、リアルには「事実」と「真実」の両方があるので、 かつては「事実」の意味が強かったものが「真実」への変化をしたのかもしれない。 少し考えを進めてみる。 かつての「リアル」は「事実」の意味が強い。これは客観的な指標であるともいえる。 対して最近の「リアル」が「真実」なのだとすると、主観的な価値判断となってくる。 これを前提にすると、なぜこのようなことが起きたのだろ

    KQZ
    KQZ 2007/12/23
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