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2015年10月6日のブックマーク (2件)

  • 物差し情報を共有することで、仮想的に「正論」を作り出して、えばってる - 世界は称賛に値する

    ▼▼道徳的議論においては、物差しと物差しの情報供給が必須だ、と認識している。 ▼▼が。 ▼▼という認識のせいで、物差しが互いに認識できてるなら多少攻撃的なことを言っても問題なさそう、なんてふうに油断しちゃってるところもあるな、と気づいた。 ▼▼正論だったら多少語気が強くても許される、っていう理路に対して、全人類に通じる絶対的な正論なんてないだろ、ってツッコミをぶつけることができる、のだけど、物差しのもとでの正しさならある、なんて思っているから、物差しを説明することで「一時的な正論」を打ち出すことができるようになり、結果、多少語気が強くても許される、を再度蘇らせてそう、なのだった。 ▼▼はてなモヒカン的な、強烈駄目出しも、同じ背景のもとにありそうだしなー。 ▼▼実際、物差し説明をする気が見られない普通の駄目出し、と、じぶんと相手の物差しの説明をしつつ語気荒く駄目出ししてる、を比較したら、後者

    物差し情報を共有することで、仮想的に「正論」を作り出して、えばってる - 世界は称賛に値する
    KZE
    KZE 2015/10/06
    物差しの説明って超大事だし、共有できる奇跡の前には語調は気にならない予感がします。
  • 自己肯定感がないとそれだけで疲れる。疲れるといいタイトルが浮かばない。『ああ悔しい』というこの感情をどうすればいいのかという話 - 阿吽の喧嘩

    自閉症スペクトラムを主なテーマで書いていこうと思い描きながら始めたこのブログ、いざ始めてみると「自己肯定感」について考えている事が多く、自閉症スペクトラムはそのためのとっかかりだったんだなと納得した。自分だけで納得して申し訳ない。 今の僕は昔よりは年をとっているので、若い頃より体力も衰えているはずだ。間違ってもより増強されているなんてことはないと思う。でも昔も今もあまり感覚的には変わらない。これは過去から現在にかけて体力は順調に落ちているけれど、精神の操作(的確な言葉が思いつかない)は上手くなった。よって気疲れしなくなった分、昔よりも少ないHP で活動できるのでは?という仮説を立てている。 同じ技を使ったとしてもMP 消費量が減っている、みたいな事だろうか。 違うね。これは違うよね。 基的に同じ環境にいても自己肯定感の高い低いで削られていくHP 量には自ずと違いがでてくる。 例えば同じ人

    自己肯定感がないとそれだけで疲れる。疲れるといいタイトルが浮かばない。『ああ悔しい』というこの感情をどうすればいいのかという話 - 阿吽の喧嘩
    KZE
    KZE 2015/10/06
    自己肯定感と敏感鈍感は関係があるかもしれない。