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携帯電話と歴史に関するKariumNitrateのブックマーク (4)

  • 日本のiモードは「モバイルでのインターネット接続まで」は世界のトップを走っていましたが、なぜその後凋落したのですか?

    回答 (11件中の1件目) 当時のi-mode、iアプリのサービスに携わりました。ですので、この問題に関してはかなり身近な立場で、それを見てました。実際、ドコモの方々の苦悩は目の当たりにしてきたほうです。 日のiモードは「モバイルでのインターネット接続まで」は世界のトップを走っていましたが、なぜその後凋落したのですか?に対する徳丸 浩さんの回答 がまあ、一番説得力があるかなと思いますが、みなさん、あの頃を思い出してください。 i-modeが出たばかりの時に、通常のPCのWebページを見ようものなら、どうなったと思います? 回線がパンクして何も使えなくなるか、利用者が「パケ死」(...

    日本のiモードは「モバイルでのインターネット接続まで」は世界のトップを走っていましたが、なぜその後凋落したのですか?
    KariumNitrate
    KariumNitrate 2019/05/27
    ブコメ見てiモードはそこまで嫌われるべき存在だったのかやや疑問。黎明期~最盛期はあのスペックの端末でよくやったとは思うし、通話用の端末にそこまでの機能は不要ではと思ってしまう。(PDAと二台持ち前提)
  • 愛称は「京ぽん」 日本初のOpera搭載ケータイ「AH-K3001V」(懐かしのケータイ)

    思い出のケータイを振り返る連載。今回紹介するのは、DDIポケット(現・ソフトバンク、ウィルコム沖縄)の京セラ製PHS「AH-K3001V」です。 AH-K3001Vは、日で初めてパケット定額制を導入した「AirH"PHONE」の3機種目で、「京ぽん」の愛称で親しまれました。 日で初めてWebブラウザ「Opera」を搭載し、ケータイ用に作られたC-HTML(コンパクトHTML)のサイトに加えて、通常のHTMLで作られたPC向けサイトも閲覧できました。OperaはJavaScriptや暗号化通信(SSL)、Cookieにも対応していて、ネットショッピングやネットバンキングなども一部利用できました。 さらにPOP3/SMTP対応の電子メールソフトも搭載していて、PC用メールのやり取りもできました。 これらに加え、USBケーブルで接続したPCでのデータ通信も定額料金で利用できるということで、ネ

    愛称は「京ぽん」 日本初のOpera搭載ケータイ「AH-K3001V」(懐かしのケータイ)
    KariumNitrate
    KariumNitrate 2018/02/13
    多分自分も電話機を複数持ちになったのは京ぽんからだったと思う。でも使いこなせなかった。全体的な挙動が重かったし。その後のアドエス&灰鰤もほぼ物欲のみで買ってたな。
  • 平成30年で“ケータイ”が退化した面とは?auの砂原哲さんに聞く携帯電話史 - U-NOTE[ユーノート] - 仕事を楽しく、毎日をかっこ良く。 -

    1989年1月8日に始まった平成の時代は、2018年で30年目を迎えます。この30年で私たちの身の回りではいったい何が変わり、何が変わっていないのか。「平成30年目の目!」と題して、各分野のプロに振り返ってもらいます。【第2回:茶髪→モテ→ゆるふわ→バブル再来!資生堂に聞く平成30年の“化粧”の歴史】第1回は「携帯電話」の発達に目を向け、「au」(KDDI)で携帯電話の企画・デザインに長く携わる砂原哲さんに、平成とともに花開いた“ケータイ”の文化を振り返ってもらいました。 【すなはら・さとし】1970年、埼玉県出身。2000年にKDDI入社。2001年に「au Design project」を立ち上げ、「INFOBAR」等の開発に携わる。画期的なデザインの端末は4機種がニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品となった。“ケータイ文化”の始まりは女子高生砂原さんが現代の“ケータイ文化

    平成30年で“ケータイ”が退化した面とは?auの砂原哲さんに聞く携帯電話史 - U-NOTE[ユーノート] - 仕事を楽しく、毎日をかっこ良く。 -
    KariumNitrate
    KariumNitrate 2018/01/02
    うーん、スマートフォンが爆発的に普及できたのは、その下地としての携帯電話がすでに普及されていたことが大きいと思う。その潮目となったのは写メールだと思うけどなあ。数字的には知らんけど。
  • 携帯電話ブランド変遷史

    携帯電話ブランド変遷史 The history of cellular phone carriers in Japan 『ツーカーってあったよね』 『ああ、今のソフバンだよね』 『えっ、auでしょ? (何言ってんの?)』 『あれ、そうだっけ? (はぁ?? 意味不明)』 みたいな会話をした覚えはありませんか? 実は、携帯電話会社のブランド名は、地域によってけっこうバラつきがありました。 結論から言えば、 『ツーカー』と呼ばれる携帯電話ブランドは、2つ存在した 『ツーカー』と呼ばれる携帯電話ブランドは、地域によってソフトバンクになったり、auになったりした のです。 その原因には、いろいろな会社の、さらには国家間同士の様々な思惑が絡んでいました。 では、30年ほど歴史をさかのぼってみましょう。 目次 contents NTT独占の時代から第2陣の参入まで そして、第3陣の参入 J-PHONEの

    携帯電話ブランド変遷史
    KariumNitrate
    KariumNitrate 2015/10/02
    東海デジタルホンからJ-PHONEに変わった時からのJ-PHONEユーザ。結局vodafoneとはなんだったのだろうか。
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