名古屋市緑区にあった名古屋俘虜収容所第2分所=1945年9月、米軍機から撮影。米公文書館所蔵、市民団体POW研究会提供 名古屋市緑区鳴海町に1943年から45年まであった名古屋俘虜(ふりょ)収容所第2分所(鳴海分所)の歴史を後世に残そうと、市民有志が「捕虜収容所跡を残す会」を立ち上げた。一部が残る遺構の保存や鳴海分所の歴史を伝える案内板の設置を市に働き掛ける。21日、緑区で市民向けの学習会を開き、約60人が参加した。 名鉄有松駅から徒歩10分ほどにある鳴海分所跡地とみられる場所。会の案内で訪れた人たちは「今も残っているんだ」と息をのんだ。会によると、県内の捕虜収容所は鳴海分所1カ所。正確な広さは分かっていないが、米軍の空撮写真では長屋が数棟並び、米、英など連合国軍捕虜を最大で約400人収容したとされる。しかし、現在跡地とみられる場所には企業の社宅が立ち並び、捕虜収容の歴史をしのばせるのは水