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shinzaki / しんざき RT @miyamo_7: Netflixアニメ「聖闘士星矢: Knights of the Zodiac」のストーリーエディター&ヘッドライターを務めるEugene Sonさんが、本作でアンドロメダ瞬の性別を女性に変更した件についてTwitterで解説したのをざっくり翻訳。意… at 12/09 12:41 勿論この件自体色々と論点はありまして、「30年前の歴史作の根本設定を今更変えないといけない程、「メインキャラに男しかいない」というのは問題なのか」とか、「じゃあメインキャラに女性しかいない作品も同じように問題なのか」とか、「じゃあセーラームーンの誰かひとりが男性化するとか一体誰が得するんだ(得する人もいるかも知れないが)」とか、「女性聖闘士が仮面の下の素顔見られた時の掟設定の問題どうすんだ」とか、様々に複雑な話を孕んでいると思うんですよ。
長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは
「面倒くさがらずに、必ず食べ切れる量だけをこまめにとる」 以上終了。 以下は蛇足だが、一応補足しておく。 しんざき家は、たまに外食というと、大体ビュッフェ形式の店を選ぶ。理由はいくつかあって、その多くが子連れであることに由来するのだが、 ・小さい子どもは何をどれくらい食べられるかその時にならないと分からないので、食べる量・種類の融通が利く方がいい ・子どもが退屈しても自然に(色んな人が常時立ち歩いているので)歩かせることが出来る ・子どもの料金が値引きされる店が多く、コストパフォーマンスがいい ・単純に色々・たくさん食べられて楽しい などが主な理由である。ここ数年で、三ケタを余裕で超える回数はランチビュフッフェに行っている筈だ。 で、私はビュッフェについて、やや頑固な持論を持っている。 それは、 「欲張って取り過ぎて、結局食べきれなくて残すのはギルティ」 ということである。子どもにも、これ
先に断っておくが、比較的どうでもいい話である。 ここ最近、長女と次女が非常にアンパンマン好きで、私も時折一緒にアンパンマンのアニメを観ることがある。そこで薄々と感じていたことが、 「…カレーパンマンと食パンマン、すげー影が薄くなってネ?」 ということなのである。 ちょっとこの画像を見てみていただきたい。 ある本屋の、アンパンマンコーナーの光景を写した写真である。 ばいきんまん、ドキンちゃんと並んで、アンパンマンの右隣に位置しているのはメロンパンナちゃんである。昔のアンパンマンしかご存知ない方はもしかすると知らないかも知れないが、彼女は「アンパンマンの妹分」という触れ込みで、近年「クリームパンダ」というチビキャラと並んで完全なメインキャラクターとなっている、アンパンマンサイドのキャラクターである。ヒロインといっていい。 で、これだけデカデカと位置しているメロンパンナちゃんに比べて、カレーパン
帰り際に次女が深く寝入ったので、奥様が次女を寝かしつけている間に、私が長男6歳・長女2歳をお風呂に入れた。わしゃわしゃと体を洗わせ、わしゃわしゃと頭を洗い、容赦なくざばーーっと流した後湯船に放り込むだけの簡単なお仕事である。 その時長男と話した内容が、妙に刺さったというか、えらく真剣に聞いていたので、割と適したたとえ話だったかなーと思い、記録代わりに会話のログを残しておく。 発端は、太陽や木星の大きさについて話していたことだった。 息子「ねーパパ、もくせいって一番大きいの?太陽より大きいの?」 私「地球よりずっと大きいけど、太陽程は大きくないよ。太陽は、太陽系で一番大きい」 息子「太陽は木星の何倍くらい大きいの?千倍くらい?」 私「んーー、球の大きさ(半径のつもりで言っている)だけなら10倍とかそれくらいじゃないのかな?重さはもっとずっと太陽の方が重いけど」 息子「大きいのと重いのは違うの
「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「本来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日本語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛
こんな記事を読んだのだが。 【今週の人柱】800円!初代FFのAndroid移植版が不親切過ぎて、ある意味ゲームの進歩を感じた件 はてなブックマーク: 【今週の人柱】800円!初代FFのAndroid移植版が不親... 思うに、この記事を読んだ「昔からのゲーム好き」は、余りに簡単に優越感を煽られ過ぎだと思う。 「チュートリアルがなけりゃゲームも遊べねーのかよ」と嘲笑するのは簡単だし、ゲームレビューとして考えるとお粗末なのも確かだし、これはもしかすると炎上マーケティングなのかも知れないが、それでも「ただ嘲笑する」よりは建設的な読み方、というものがあるのではないか。 この記事が純粋な「架空のプレイヤー」のネタ記事である、という可能性を考えず、敢えて額面通りに読んでみる。 チュートリアルが無い!操作がわからない! 左下にうっすらと浮かび上がっているマークが十字キー替わりなのですが、初見では意味が
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