アングロ・サクソンの哲学は現在どうなってしまったのでしょうか。二十世紀はプラグマティズム、マルクス主義、実存主義、現象学、分析哲学などが主流派となってきたのですが、そのうちアングロ・サクソンはプラグマティズムと分析哲学をリードしてきました。しかし、分析哲学が下火となった1970年代以降は、アングロ・サクソンからは、哲学的著作としては、科学哲学、政治哲学(正義論)などの個別分野での著作は別として、主要著作は現れていません。 それに代わって、戦後雨後の竹の子にように出てきたのが、フランス人哲学者とその著作です。ポストモダンと銘打って この頃はそれらの翻訳書とか解説書がわんさかと出ています。昔は哲学と言えばドイツであったのですが、今やフランスなのであります。現在のドイツで健闘しているのはハーバーマスくらいであり、現在フランスの哲学者で名を馳せているのは言うのも煩わしいくらいに大勢います。レヴィナ
* 出典:『哲学人(てつがくびと)』下巻(日本放送出版協会、2001年3月刊)pp.304-316 * ブライアン・マギー(1930年~ )は、オックスフォード大学で史学、哲学、政治学を、エール大学で哲学を学ぶ。テレビ・ラジオの哲学解説番組の制作・出演、及び、執筆活動を通して、哲学をわかりやすく紹介している。国会議員も経験。 *今回は、ブライアン・マギー(右の写真)の分析哲学批判を紹介。:『哲学人』下巻第23章(=「分析哲学の限界-現代哲学における大きな分裂」)のなかの3節(「分析哲学者たちが共有していた哲学観」「分析哲学への不幸なリアクション」「'分析哲学は本当の哲学ではない'という非難は正しい」) 分析哲学者たちが共有していた哲学観 すでに述べたとおり、ムーアとラッセルが、それまで手引きとしてきた新へーゲル主義的観念論と決別したのち、分析的アプローチを創始すると、これが大学の哲学に広く
日常言語学派(にちじょうげんごがくは、英: ordinary language philosophy)は、伝統的な哲学的問題を、言葉が日常的な用法で実際に何を意味していたのかが哲学者たちによって歪められ、あるいは忘れられることにより、増大した勘違いに由来するものだとする言語哲学の学派。 このアプローチは概して「日常的」言語の日々の使用の詳細に対する関心を閉じるためにの哲学的「理論」を回避することを伴う。「オックスフォード学派」と呼ばれることもあるが、これは20世紀半ばの数多くのオックスフォード大学の教授陣の著作と一般的に結び付けられていることによる。その教授陣とは、主にジョン・L・オースティン、他にギルバート・ライル、ハーバート・ハート、ピーター・フレデリック・ストローソンといった人々である。後にはルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが、オックスフォードの範囲からは外れるものの、当学派のもっ
八木沢敬『意味・真理・存在 分析哲学入門中級編』 - logical cypher scape2を読んだ勢いで読んだ 八木沢本を先に読んでてよかった。 第一部 言語哲学の誕生 フレーゲ「意義と意味について」(野本和幸訳) 言わずとしれた超有名論文。1892年。 改めて、フレーゲは色々なこといってて面白い、というかすごいなーと思った。 (「明けの明星」と「宵の明星」など) ラッセル「表示について」(松坂陽一訳) 言わずと知れた2。1905年。 一番最後に、他人の心や物理学における粒子は、表示句によってのみ知られる存在者で、直接見知っている存在者と区別されるというような話をちらっとしてた。 (「現在のフランス国王は禿である」など) 第二部 指示をめぐる謎 ドネラン「指示と確定記述」(荒磯敏文訳) 1966年。 確定記述には、指示的用法と帰属的用法がある。 指示的用法があることの指摘は、ストロー
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