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2014年6月1日のブックマーク (8件)

  • 上宮記 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "上宮記" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年2月) 『上宮記』(じょうぐうき・かみつみやのふみ)は、7世紀頃(推古朝か)に成立したと推定される日歴史書。 概要 [編集] 『上宮記』は、7世紀頃(推古朝か)に成立したと推定される日歴史書である。『日書紀』や『古事記』よりも成立が古い。鎌倉時代後期まで伝存していたが、その後は散逸し、『釈日紀』・『聖徳太子平氏伝雑勘文』に逸文を残すのみである(『天寿国曼荼羅繍帳縁起勘点文』所引の「或書」も上宮記と見なす説がある)。特に『釈日紀』巻十三に引用された継体天皇の出自

    KatagiriSo
    KatagiriSo 2014/06/01
    散逸した。古事記より古い書。
  • 国記 - Wikipedia

    『国記』(こっき、こくき、くにぶみ、くにつふみ)とは、推古天皇28年(620年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂して成立したとされる書物で、事実とすれば『古事記』・『日書紀』以前の書物。『天皇記』とともに編纂されたと伝えられる。 その性格については、倭国(日)の歴史を記した物(坂太郎説)、諸氏の系譜や由来・功績などを記した物(榎英一説)など歴史書であるとする説が有力であるが、倭国の風土・地理を記した地理書であるとする考えもある(石母田正説)[1]。 『日書紀』内の記述[編集] 『日書紀』推古28年の是歳条に、

  • 天皇記 - Wikipedia

    『天皇記』(てんのうき、すめらみことのふみ)は、推古28年(620年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書である。 『日書紀』推古28年の是歳条に次のようにある。 皇太子・嶋大臣共に議(はか)りて、天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)、臣連伴造国造百八十部併せて公民等の記を録す。 — 『日書紀』推古28年是歳条 事実とすれば、『帝皇日継』・『帝紀』とほぼ同様の内容で、皇室の系譜を記したものだと推定される。また、未完であった可能性が高い。『国記』とともに編纂された。 また、この年が推古天皇の実父(聖徳太子には祖父)にあたる欽明天皇の50年忌にあたることから、同天皇の顕彰とその正統性を示すことを目的に皇統譜の整理を意図して行われたとする説もある[1]。 皇極天皇4年(645年)に起きた乙巳の変の際に、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷の家が燃やされ、そのとき『国記』とともに

  • エンリル - Wikipedia

    エンリル(シュメール語: 𒀭𒂗𒇸/𒀭𒂗𒆤 - DEnlil/DEnlil2)またはエッリル(アッカド語: DEllil)は、古代メソポタミア神話に登場するニップルの守護神[1]。シュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者[2]。彼に象徴される数字は50、随獣は怪鳥アンズー[3]。 ヌナムニルという別称もあるが、通常「エンリル」と呼ばれるその名はシュメール語で EN「主人」、LIL「風」を指し(エンリルは北風、ニンリルは南風にたとえられることもある)、嵐や力を象徴することから「荒れ狂う嵐」「野生の雄牛」という異名を持つ[4]。また、至高神の位にあるエンリルはアッカド語で「主人」を意味する「ベール」とも呼ばれ、後にエンリルに代わって至高神となった者たちも、エンリルのように「ベールの称号」を得た[5]。 概要[編集] エンリルは実に畏れ多い神だったようで、姿そのものだけでなく身か

  • メー - Wikipedia

    メソポタミア神話において、メ(シュメール語ラテン文字翻字:me、メー([mɛ])もしくはニェー(ñe: [ŋɛ])と発音)、もしくは パルスー(parşu)(アッカド語)は、神々の基的な社会的慣行・宗教的習慣・技術・行動規範・文明を形成する人間の条件などに関する基的な事項が記されているもので、シュメールの人々の間で存在するものと理解されていたものである。それらは、人間と神の間の関係(契約、法)を理解する基となるものであった。 神話論的な起源[編集] メーは、もともとはメソポタミア神話の神エンリルによって集められ、エンキの保護のもとに引き継がれ、エンキによって、彼の守護する町エリドゥをはじめ、ウル、メルーハ(Meluhha)、ディルムンなど、様々なシュメール文明の中心都市に仲介された。 「エンキと世界の秩序」という詩には、いかにしてエンキが様々な技術や自然現象に対してもっている責任範囲

  • エンキ - Wikipedia

    エンキ エンキ(シュメール語: 𒂗𒆠 - DEN.KI(G) - Enki)は、メソポタミア神話の神である。 呼称[編集] エンキの正確な意味は不明であるものの、一般的には[誰?]「地の王(Lord of the Earth)」を表す(シュメール語でenは「王」、kiは、不明もしくは「盛り土、小山(mound)」の意)。 のちのバビロニア神話では、都市エリドゥの守護神エア(アッカド語: Ea)として知られる。エアの名前の語源はフルリ語ともセム系の言語ともいわれているが、「生命」「泉」「流れる水」などを意味する“hyy”と考えられている。 前史 - エリドゥの神殿 -[編集] エンキの神殿は、ユーフラテス川の湿地帯の中で、当時としてはペルシャ湾口に近い部分に位置する都市エリドゥにあり、一つの敷地内に18の神殿が存在した。主神殿は「エエングラ」(é-engur-a:深き水の王の家)、もしく

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  • エリドゥ - Wikipedia

    エリドゥ (シュメール語: 𒉣𒆠 翻字: eriduki、Eridu[1]、「遠くに建てられた家」の意)は古代メソポタミアの都市、又はその都市を拠点とした国家。ウルから南東方向に約10キロメートルの距離にある。シュメールおよび南部メソポタミアの都市国家郡の南端に位置し、数多くの寺院がある。 シュメール王名表では人類最初の王権が成立した都市とされている。1,000年以上にわたる神殿の拡張工事の跡が考古学的に発見されていることでも有名である。 遺跡と歴史[編集] エリドゥ期[編集] シュメール神話によると、大洪水が起こる以前に5つの都市が建設された。エリドゥはBC4,900年頃建設されたとみられ、これら都市の中でも最古のものである。実際にエリドゥは大きな力を持った都市であったと考えられるが、その時代は歴史資料が多く得られる時代より遥か過去のことであり、具体的な政治史は殆ど何も分からない。シ

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  • アルリム - Wikipedia

    アルリム(楔形文字: 𒀉𒇻𒅆,シュメール語: a2-lu-lim; ギリシャ語: Ἄλωρος, Aloros、A lu lim)は、古代メソポタミア、シュメール王名表に登場する伝説的なエリドゥの王。 概要[編集] シュメール王名表によればアルリムは28800年間在位した[1]。神話的な大洪水以前の王であり、人類最初の王であったとされている。 後世、アルリムの治世は理想的な時代の代名詞として扱われ「エリドゥの聖なる掟を守る者」という称号も用いられた。紀元前3世紀にバビロニアの神官ベロッソスがギリシア語で著述した『バビロニア史』によれば在位年数は36000年であるとされている。同書によれば「人が動物の如くあった時、下の海(ペルシア湾)から人の頭と魚の体を持ったオアンネスなる者が現れてアロロスと民衆に文明と法律を与えた」とされている。 ウィリアム・W・ハロー(英語版)もバビロニアと聖書の

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