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ブックマーク / www.ms.kuki.tus.ac.jp (1)

  • 私の立場 哲学(哲学の事柄) 「日本に哲学なし」

    と哲学 「日に哲学なし」と言われる。哲学研究者は無数にいるが、哲学者はいない、有名な哲学者についての研究は行なわれているが、自ら思索することが行なわれない、というのである。これは残念なことに(例外はあろうが)真実である。哲学者たちは世界というテクストを解釈してきたが、ほとんどの日人はその哲学者たちのテクストを解釈しているだけである。 哲学者研究の正当性 確かに、ある哲学者のあるテクストや他のテクスト(同じ哲学者の別の時期の、あいるは、同じ時代の別の哲学者の、等々)との連関を解釈する釈義的な研究は、それ自身まったく正当であるし、そのような哲学者研究に没頭している人間がいてもいい。あるテクストについて、新しい解釈を示して、従来の解釈を修正したり批判したり補ったりすることには、一定のオリジナリティーがある。 だが、もちろん、文献解釈に没頭するにしても、哲学をやる以上、少な

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