クリスマスまでには帰れる――。これは、第一次世界大戦が始まった1914年7月頃に戦地へ赴く兵士たちが抱いていた予測でした。各国指導者の多くも同じような見通しでした。彼らは皆、戦争を望んではおらず、ましてこの戦争が世界中に拡大するとは思ってもいませんでした。 なぜいきなり第一次世界大戦かというと、スイスのダボスで開かれている世界経済フォーラムで、安倍首相が現在の日中関係を第一次世界大戦当時の英独関係に例えたことが伝えられているからです。 Davos leaders: Shinzo Abe on WW1 parallels, economics and women at work(2014/1/22 フィナンシャル・タイムズ) Japanese PM Shinzo Abe urges Asia military restraint(2014/1/22 BBC) 第一次世界大戦(グレート・ウォー
(フィナンシャル・タイムズ 2014年1月22日初出 翻訳gooニュース) マーティン・ウォルフ 世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)で私は、安倍晋三首相の話を1日で2度も聞いた。その上で私も同僚ギデオン・ラックマンの判断に同意せざるを得ない。安倍首相は、中国との衝突を考えられないものとは思っていないようなのだ。 それは現実的な考え方なのかもしれないし、そういう現実主義こそがこの世界をそういうとんでもない凶事から救うのかもしれない。けれども私は恐ろしくてたまらない。特に安倍氏がほとんど気楽な調子で、第1次世界大戦を引き合いに出したのが、強く印象に残った。このような戯言には米政府がもっとピシリと対応してくれることを願う。 首相への私の質問は、アベノミクスの「第三の矢」についてだった。第三の矢とは構造改革のことだ。質問するにあたって私は、労働人口が縮小しつつある先進国経済で、どう
米Microsoftが1月2日(現地時間)に発表した2014年第2四半期(10~12月期)決算は、売上高が14.3%増の245億1900万ドル、純利益は2.8%増の65億5800万ドル(1株当たり78セント)だった。ホリデーシーズンの「Surface」や「Xbox One」の売り上げが好調で、売上高は四半期としては過去最高を記録した。営業利益は2.5%増の79億6900万ドル。 Surfaceシリーズの売上高は前期の2倍以上の8億9300万ドルだった。Xboxシリーズ(Xbox OneとXbox 360)の販売台数は740万台で、Xbox Oneは390万台だった。 売上高を部門別にみると、コンシューマー向けWindowsおよびOfficeのライセンス、SurfaceやXboxなどのハードウェア、BingやXbox LIVEなどのオンラインサービスを扱うデバイス&コンシューマー(D&C)部
(注:第二章の部分で事実誤認がありましたので削除し、なぜかについての内容としました。詳細はその部分やこの直後の論考をご参照くださいませ。なお、英独と同じ発言は誤訳ということですが、それが言い訳にならないことも同論考で指摘しております) 年末に、安倍首相は右翼のルーピーとなるという論考、ケネディ大使が駐日大使ならぬ反日大使になるという論考を投稿したが、今、それがイルカ発言や慰安婦問題でのケネディと韓国大使の意気投合等と現実のものとなりつつある。 本稿では、そのトドメとなり、日本が孤立する決定打となってしまった感のある、安倍首相のダボス会議での発言が、何故こんなにも国際社会で取り上げられているのか、何故中国との戦争を決意した危険な指導者と理解されてしまったについて主に論じたい。 1.安倍首相は開戦を決意したと理解された理由:欧米の大学一年生でもわかる理屈 既に石井先生も鋭い御論考をされているが
「不動産と心中するつもりだろうか?」 不動産投資はからくりに満ちている。儲かるように見せかけることができるので、騙される人が後を絶たない。例えば、不動産投資のキャッシュフローは、誰でも初年度が最も儲かる。しかし、いずれマイナスになり、ローン返済に困るようになる。売りたくてもローン元本を上回らなければ売れない。そうなってからでは遅い。儲かっていないとは誰にも言えずに、時限爆弾が時を刻み始める。 しかし、この世界は騙される方が悪い。なぜなら、不動産投資はいつ終わるか分からない「ババ抜き」をやっているようなものだからだ。高く売り抜けたら、このゲームを終えることができる。最後にババを手元に残した人が大損して、最悪は自己破産することになる。相当な数の人が不動産投資をやっているので、これから自己破産者が続出することになる。そのXデーはいつ来るか分からないが、必ずやって来る。 私は不動産投資はやらない。
石川県生まれ。1896(明治29)年に金沢の第四高等学校講師、次いで教授となった。1911年(明治44)に発表した「善の研究」で、その西洋哲学と充分比肩しうる独創性で日本の思想界に衝撃を与える。その後も西田は「善の研究」の〈純粋経験〉の立場に長年にわたり厳しい批判を重ね、ついに〈場所の論理〉に到達する。その後、マルクス主義の台頭を睨みつつ〈歴史的現実世界〉の問題と取り組み、〈場所〉を〈弁証法的世界〉として具体化し、〈絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定〉として〈歴史的実在〉の世界をとらえる立場を展開した。 近年になって脱構築の流れに乗って世界的な再評価が進んでいる哲学家の一人である。(nns) 「西田幾多郎」
日本と哲学 「日本に哲学なし」と言われる。哲学研究者は無数にいるが、哲学者はいない、有名な哲学者についての研究は行なわれているが、自ら思索することが行なわれない、というのである。これは残念なことに(例外はあろうが)真実である。哲学者たちは世界というテクストを解釈してきたが、ほとんどの日本人はその哲学者たちのテクストを解釈しているだけである。 哲学者研究の正当性 確かに、ある哲学者のあるテクストや他のテクスト(同じ哲学者の別の時期の、あいるは、同じ時代の別の哲学者の、等々)との連関を解釈する釈義的な研究は、それ自身まったく正当であるし、そのような哲学者研究に没頭している人間がいてもいい。あるテクストについて、新しい解釈を示して、従来の解釈を修正したり批判したり補ったりすることには、一定のオリジナリティーがある。 だが、もちろん、文献解釈に没頭するにしても、哲学をやる以上、少な
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