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ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (2)

  • うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    前回はこちら。 Fatalism in American Film Noir: Some Cinematic Philosophy (Page-Barbour Lectures) (English Edition) 作者:Pippin, Robert B.University of Virginia PressAmazon 前回説明したように、Fatalism in American Film Noirでは、フィルム・ノワールを宿命論の映画と捉えている。宿命論の映画とは、主人公の不適格な行為により──だまされたり、誘惑されたり、知らなかったり、運が悪かったりして──自らの選択によって、不可避的に破滅へとはまり込む映画という感じだ。ピピンはこれを行為論の問題として──反省に基づく合理的行為によって主体が状況を変えていくという近代的行為者観への懐疑の表現として──捉える。個人的には、最近も何作

    うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。

    哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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