ブックマーク / kaz-ataka.hatenablog.com (2)

  • アメリカのPh.D.はどこに行くのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Nikon F2, 50mm Planar F1.4 @Tokyo これはmasa346さんのご質問に対するエントリです。 アメリカではPh.D.の人の未来はかなり自由です。エンジニアリングスクールであればマスター出は結構いますが、純粋サイエンスでは、修士課程がないので、まあ、日とはちょっと違うフレーバーですが、大学院卒として待ちに待った感じで、フレッシュに世に出て行きます。(もちろんさっさと見切りを付けて、マスター出、学卒として世に出る人、別の専門の学校に入り直す人もそれなりにいます。) ポスドクを始めるのがそれなりに当然います。が、結局、そのうちファカルティポジションを取って残るのは、トッププログラムでも半分いるかな、ぐらいかなと思います。まあ、そこでの海外からのポスドク組も含めたcompetitionで、世界に冠たるアメリカの科学の質が保たれている訳です。 尚ポスドクでの研究テーマ

    アメリカのPh.D.はどこに行くのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    LethalDose
    LethalDose 2009/02/05
    専門的な知識を得て、それを生かせる職場に行かないことを日本の年配が評価しない、というのも理由にあると思う。せっかく○○でPhDをとったのに、とか言われそう。
  • 大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Contax T2 @Sterling Hall of Medicine, Yale University この間の「人を育てるラボの特徴」というエントリについて、ブクマコメントで頂いたこと、 >大学院教育において、どうなったら「人が育った」と評価できるのか、その基準も合わせて教えていただけると嬉しいかも。「研究を進めるための実務的な能力」が身についたということでO.K.?(pollyannaさん) について少し考えてみたいと思う。 これって「大学院教育って(受け手側からすると)何のためにあるのか」という極めて重要な課題そのもの。深遠かどうかはこのエントリの後で考えて頂くとしても、大事なテーマであることは間違いない。 で、ここでは日の大学院と米国の大学院をちょっと分けて考えてみたい。前エントリにも少し書きましたが、私個人として、某旧帝大と某Ivy schoolの間で、ラボがどうというより

    大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    LethalDose
    LethalDose 2008/10/28
    日米での院卒者に必要なものの違い。僕は「学士は言われたことをそのとおりできること、修士は言われたことを自分のやり方で出来ること、博士はするべきことを見つけ、解決できること」だと思っている。
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