誰しも人に認めて欲しいという気持ちのいくらかは持っているものです。「承認欲求」等といった形で取り上げられるのもその一つです。 「認められる」ことにも色々な要素があるでしょう。大抵の場合は、能力とか人としての価値を「認められる」といったことがイメージされるでしょう。しかし、もう少し考えられても良いのではないかと思うことに、「意図を認められたい」というものがあります。 尤も、子供の教育のような場面では、「結果はともかくとしてそこにまで至った努力を評価してあげる」ことの意義はしばしば取り上げられています。このように「努力」と言っても良いのかもしれませんが、本当のところ、もっと煮詰めて「意図」とか「やる気」と言ってしまった方がより正確ではないでしょうか。「努力」や「頑張り」でも結構なのですが、これらは「成果」と同じく、基本的には外面に表出されることで評価されるものです。「いや、怠けているように見え
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