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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (5)

  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

  • なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「なぜウェブは資主義を超えるのか」 池田信夫氏のインタビュー「なぜウェブは資主義を超えるのか」http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/は面白い。*1ここで重要なことは「ムーアの法則」でしょう。インターネットが成功しているのは、資源が無限にあることで、「ユートピア」が実現されている。 さらには、情報が溢れるように提供された時,相対的に希少になるのは、情報が消費するもの,すなわち「人間の関心」である。そして関心を取り合うことで、ネット上の経済は活発化している。「Googleの検索広告はその典型です。世の中に何十億もページがある中で,自分のページを見てもらうために1クリックいくらで費用を払う。(池田)」ということです。 「書き込みは必ず宛先に届く」 たとえば、ネット上にテクストを書くことによって他者に見られる

    なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    Lian
    Lian 2007/08/10
  • 続  オタクであることはなぜ恥ずかしいのか その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    kagami 「 オタクであることはなぜ恥ずかしいのか」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060524の構造分析についてはその通りだと思いますが、オタクアニメの質的なものがセカイ系というのは、作品ごとのケースバイケースではないでしょうか。確かにセカイ系のアニメも多いのは事実ですが、AIRなどは明らかにセカイ系とは対極にあるものですし(前世での罪の責任を取って死ぬ)、今期のアニメでも、「ガーゴイル」(門番としての義務と責任を果たす)「ゼーガペイン」(幻の世界であることを受け入れた上でのその世界への責任の取り方)「西の善き魔女」(社会秩序と個人倫理の対立)「彩雲国物語」(ノーブレス・オブリージュ)「獣王星」(サバイバルへの意志)など、セカイ系でくくれないオタクアニメは山ほどあるかと思います。ただ、セカイ系がオタクに人気があるのは、確かでしょうね…。 pikarr

    Lian
    Lian 2006/05/26
    ハルヒ論3
  • オタクであることはなぜ恥ずかしいのか

    なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中心にいることができる。これってとても幸せな立場です。 そもそもセカイの中心にいることは難しいことですが、それで重要な位置にいるときには、そこに大きな責任がともなうものです。しかしキョンは責任回避しながらセカイの中心にいられるわけです。それでいてかわいい女性に好かれるのですから、こんな都合の良い、おいしい立ち位置はありません。これがセカイ系の物語の一般的なパターンではないでしょうか。 セカイ系の物語へはまることの「恥ずかしさ」は、このような「責任回避しながらセカイの中心にいる」というとても都合の良い、そして「現実逃避」的であるからです。「オタク系アニメ」は

    Lian
    Lian 2006/05/26
    ハルヒ論2
  • なぜ最近の男性は「彼女依存」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    男性の「彼女依存」 TVでスポーツコーチ言っていましたが、昔は女性スポーツ選手は男性ができると競技に身が入らなくなるのでつきあいを禁止されたが、最近の女性は練習の糧になるぐらいで、むしろ男性の方が女々しいというようなことを言っていました。 昔は家を守るということで子供は男の子が望まれましたが、最近は女の子が望まれるようです。 最近は恋人が別れるときには男性の方が泣いてすがるらしいです。 最近は熟年離婚が流行りで男が定年すると女性から離婚を言い渡されるので、男性は戦々恐々である、というようなことを言われます。 こういうのは一括りとして男は弱くなり、女は強くなったというのでしょうが、かく言うボクも彼女にはデレデレで、別れるなどと言われると泣いてしまうかもしれません(笑) なぜにこれほど男性が弱くなったのか。男尊女卑という近代システムが解体しているということでしょう。古くは道徳としての男尊女卑で

    Lian
    Lian 2006/05/26
    ハルヒ論1
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