タグ

2007年7月13日のブックマーク (3件)

  • カットイン坊主 - 失踪外人ルー&シー

    ボイスとともにピカーンとかいいながらカットイン演出が発動するだけでなんか良い気持ちに。フン、なんとも安いオタよの。程度としては最下層のオタって感じだ。でも楽しいから仕方ないんだよネー。スパロボとか格闘ゲームに登場するあの演出は最小の努力でそれなりの効果をあげておるよな。安酒みたい。そして俺は安酒が好きだ。 以前全く面識のない方の葬儀に参列する機会があったんだが、坊さんがお経を唱えてる時間の退屈さが死者を悼む気持ちを凌駕したためにフラストレーションゲージが急上昇しはじめたんで「このゲージを消費して坊主のカットイン演出&必殺技発動とか起こらないかなー」と思った。必殺て。もう死んでるっつうのな。 いいんじゃねえの?坊主(声:玄田哲章)の叫び声とともに禿頭がピカーン!効果は一定時間死者が蘇生。思わぬ奇跡に告別ゲージも急上昇。六文銭カウンターから清め塩→野辺送り→引導と繋いで一気に成仏までもっていく

    カットイン坊主 - 失踪外人ルー&シー
  • 「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波

    (美少女ゲーム年代記 - 魔王14歳の抱き枕に書いたのと同じ内容です) 批評者の言葉が創作者から見て的外れになりがちなのは、ひとつには、その仮説を実証する機会がほとんどないからという理由が挙げられると思います。実際の人間を相手にしている創作という活動は"例外が多い"ということにかけてほとんどスポーツみたいなものです。よりよい創作を行うためには、実験によって常に理論を修正し、それが追いつかない複雑な部分は身体感覚でカバーするしかないわけです。 自分でものを作るという作業に携わらない以上、批評者は「作品を作る際の自分の感覚」と「作品を鑑賞した者の反応」を照らし合わせるということができません。批評者には、後者の"外から観察できる反応"しか知ることができないのです。言葉選びのセンスとか、テーマの有効な伝え方とか、もっとも鑑賞者の心を揺さぶる演出挿入のタイミングとか、そういったことを創作者はいちいち

    「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波
    LoneStarSaloon
    LoneStarSaloon 2007/07/13
    >「感動」を得るにはどうすればよいかを探るために「正しい理論」を追求していたのに、いつのまにか「自分の理論」に当てはまるものに「感動」してしまうカラダになっていたという価値観の逆転です。
  • ページがありません

    LoneStarSaloon
    LoneStarSaloon 2007/07/13
    とりあえずこれ読んで落ち着こ。