「都の地を求めて東へ行こうと思う」。初代・神武天皇が高千穂(宮崎)から大和(奈良)へ向かった「神武東遷」。古事記で有名なこの神話を色鮮やかに描いたのが、洋画家の絹谷幸二・大阪芸大教授だ。天高く飛翔する神武天皇の作品は、新たな時代の幕開けを思わせる。一方、考古学的にアプローチすると、「東遷」ではなく大和から九州へ〝西遷〟のような流れがあったという。2月11日は神武天皇即位の日とされる紀元節を引き継いだ「建国記念の日」。節目の日を前に、国の成り立ちを考えてみた。守られてなお開かれた都 「神武天皇は、九州より気候が穏やかな大和へ、コメ文化も携えてきたと思うんです」。絹谷さんは古事記編纂(へんさん)1300年にあたる一昨年、神話をテーマに多くの作品を手がけ、八咫烏(やたがらす)に囲まれて東遷する神武天皇も描いた。 大和は田植えや稲刈りの時期、九州のように大雨や台風に悩まされることも少ない。山からの