ここでは感情の抑圧のひとつの形である「泣くことのタブー」について取り上げています。 感情の抑圧はうつ病やストレス性の身体疾患の直接間接の原因にもなります。 感情の発露で他者を支配しようとする試みについては似て非なるものなので、ここでは扱いません。 ※収録者の皆様には全員にお知らせを出しておりますが、一部の方のお返事を待たずにリリースさせて頂きました。万一フォロー外リプライを見ない設定等が原因でリプライが届いていない方がおいででしたらあいすみません。ご自分のツイートを除外したい方は後からでもご遠慮無くお申し付け下さい。可及的速やかに作業します。
爲末大 Dai Tamesue @daijapan オウム真理教の辺りから僕は、カルトなものにはまる心理というのにすごく興味があって、いろいろ考える。大体いろんな所で書かれるのは、彼らはどうしてカルトにはまったのかという論調だけれど、一歩引いてみると対象がカルトであっただけで、私達は同じ性質を持っていると思う。 2012-02-18 23:18:48 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 言い切ってもらったり、善悪を決めてもらったり、集団に属したいという依存欲求が私達にはあって、そこには依存する心地よさがある。そういう意味で、国家に依存する事も、大きな宗教に依存する事も、親や友人や教育者に依存する事もそんなには違わない。あるのは程度の差だけじゃないだろうか 2012-02-18 23:20:33 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 特にカルトの場合は、何か厳し
誰もが思っていても、口には出さない事ってありますよね。 世間体が大事だとか、交友関係を崩したくないだとか、そういった理由から口を噤みます。 けれど、もし、それが比較的誰にも気づかれない場所で話せるとしたら? 学生時代を思い出してください。 友人と帰路の途中、周りに誰も居なかったら誰かの悪口を言っていませんでしたか? 教師が居ない場面で、クラスの端っこで不平不満を言っていませんでしたか? つまり、当事者が居ない場面であれば、悪口は言いたい放題になります。 気付かれる心配があまりにも低いと、人間は傲慢になるのです。 この比較的気づかれない場として、最近はtwitterが挙げられるかもしれません。 私のTLでは、常に誰かが 「電車の中にいるけど、隣の女の香水が臭い、腐ってるのか?」だとか 「授業中に教師が突然私を指名した。うざい、マジうざい」だとか 「先輩がオレをパシリとしてしか見ていない」だと
【主な登場人物】 ◯渡邊芳之 ( @ynabe39 ) とかちつくちて生息の御用学者,専門は性格心理学,心理学論。 近著?→ http://togetter.com/li/119259 ◯他、何かのコントロールに長けた皆様に多数ご出演頂きましたよってに。おおきに。 続きを読む
Kensuke SUZUKI @kskszk うかつなことを言うと「不謹慎」と非難される風潮への批判が目立ってきました。あるいは、日本人としての一体感を鼓舞したり、政府・技術者への無条件の感謝を捧げる声に、戦争中のナショナリズムに近いものを感じる人もいるようです。この点について、少しだけ考えてみます。 2011-03-16 10:49:29 Kensuke SUZUKI @kskszk まず、こうした思考法は、特に社会学において顕著だと思います。戦後のある時期からの社会学は、行政官のための道具作りのような仕事だけでなく、マジョリティの視点や常識的な見解からでは見えてこないリアリティを映し出すことが重要だ、という立場をとってきたからです。 2011-03-16 10:51:15 Kensuke SUZUKI @kskszk それとは別に過去の研究で参考になるのは、R.K.マートンが『大衆説得
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