こと歴史、特に近代史に関する限り、wikipediaが当てにならないのは今に始まったことではないのだが。 反中バカが、中国人犠牲者数が年々増えている、と主張している根拠(らしきもの)がこれ。 発表年 犠牲者数 調査・出典 補足 終戦時 132万 GHQ調査・発表 国民革命軍のみ 終戦時 132万 国民党政府調査・発表 国民革命軍のみ 1948年 438万 国民党政府報告書 1948年までの確認数(【注意!】この時加算された犠牲者数の中には日中戦争終戦後に勃発した国共内戦などでの犠牲者数が含まれていることに注意) 1950年代 1000万 共産党政権発表 1970年 1800万 共産党政権発表 1985年 2100万 共産党政権発表(抗日勝利40周年) これ以後 博物館や教科書で公式数字となる 1998年 3500万 江沢民発表 江沢民氏の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる 2
日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。 報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、天安門事件(八九年)などが含まれる「戦後史」については、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で報告書に盛り込まれなかった。
【オタワ=鶴岡正寛、伊藤宏】主要国(G8)外相会合のためカナダを訪れた岡田克也外相は29日夜(日本時間30日午前)、クリントン米国務長官とオタワ近郊で会談した。岡田氏は、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題で、前政権で日米合意した同県名護市辺野古沿岸に移す現行計画について「実現に移すことに様々な困難がある」と述べ、新たな移設先選びに協力を求めた。 岡田氏は会談で、「米側の考え方はよくわかっている。日米合意案が最善ということは承知している」と指摘。それでも現行計画の実現は難しいとして、「我々が検討している考え方について検討してもらいたい」「より実現可能性のある案をきちんと議論すべきだ」と求めた。岡田氏はこれまで、現行計画も排除しない考えを示していた。 岡田氏はまた、「5月末までに決着したいと鳩山由紀夫首相も決意している」と表明した。 鳩山政権は、普天間飛行場の機能をキャンプ・シュワブ(同
中曽根康弘元首相は30日、NHKの報道番組で核持ち込み密約について、「私が質問して、外務省が説明したと思います」と述べ、首相在職中に同省から密約に関する説明を受けたことを明らかにした。当時の同省幹部は中曽根氏に対し、「文書はないけど慣行で、(日米が)お互いに信頼関係でやっている」と説明したという。9日に公開された外交文書では、佐藤栄作内閣当時の68年から海部俊樹内閣当時の89年まで歴代首相に説明したことが書き込まれており、中曽根氏は83年1月14日に説明を受けたと記されていた。 中曽根氏は密約の必要性について、「大局的見地で政治の知恵だ。それまでノーと言ったら安全保障は成り立たない」と述べた。【野口武則】
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