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ブックマーク / bungeishi.cocolog-nifty.com (5)

  • 洋楽聴いてないのに聴いたかのような若者音楽ってのがあるんですヨ。 - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「レジーさんとこで「若者の洋楽離れ」という問題提起が各方面でバズを起こしている」 司会者「レジーさんはくるりとかユニゾンの田淵さんとかにリアクションされててスゴイなあ」 kenzee「オレ、さんざん小室の話とかしてるのにそろそろ小室さんからリアクションきてもいい頃だけどな」 小室哲哉(のツイッターアカウント)「やあ、kenzeeこんにちは。華原と小室コンビのアイドルプロダクトはビジネスモデルとしては大失敗。その後のアイドル産業にとって教訓となった、とか悪口ばっかり言ってテメー。あの頃、若い女の子が年をとるってとこまで勘定にいれてなかったんだよなあ」 kenzee「ア、小室さんはじめまして。昔、中学生のときに近所のレンタルレコード屋の優&愛で(ちょうどその頃、メディアがレコードからCDに切り替わる時期だったので)レコード100円大処分バコのなかにスピードウェイ(TM NETWOR

    洋楽聴いてないのに聴いたかのような若者音楽ってのがあるんですヨ。 - kenzee観光第二レジャービル
    Midas
    Midas 2012/12/31
    Youtubeザッピングは筒美京平(ちょい聴き)と同じ。問題は皆が「自分は稀代のヒットメーカーになったつもり」勘違い状態にある。誰でも筒美京平になれるクローン社会では筒美京平はプロになれない(作品に換金価値はない)
  • 気まぐれシェフの木こり風パスタへの道程(みち)(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.4) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「これが……オレの…モータリゼーション…ってヤツ?」 司会者「カブやんけ」 司会者「ファミマの駐車場やんけ! スゴイ情けない郊外の風景だなあ」 kenzee「こんな郊外の風景がオマエタチのお好みなんだろう? 素直になれよ」 司会者「48,000キロも走ってるね。これがキミのモータリゼーション?」 kenzee「コレなかったら生活できません。歩いていけるところにはローソンが一軒あるだけなんですよ。スーパーもユニクロもマクドも王将もツタヤもみんなこのモータリゼーションなしには行けないところにあります」 司会者「モータリゼーションって言うな!」 kenzee「週末はコレでスーパー銭湯行ってイオン行って買い物してイオンの中のビレヴァンで立ち読みしてジョーシンで家電チェックしてフードコートでたらふくって家に帰るのが幸せな過ごし方」 司会者「包摂されてるなあ、郊外的環境に」 kenzee

    気まぐれシェフの木こり風パスタへの道程(みち)(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.4) - kenzee観光第二レジャービル
    Midas
    Midas 2011/02/22
    ↓そうは思わない。つまんなくなってきてる。最大の要因は第2回の事実誤認が今回と絡んで論旨に矛盾をひきおこしてるから。当時別荘地は正確には「サラリーマン向け」でなく自営や医者の様な成金目当て>id:gotanda6
  • ソフトロックとしての長渕(オマケ) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「よく考えたら木村先生に長渕の凄さを説いてもしょうがないのであった」 司会者「あんまり興味ないと思いますよ」 kenzee「長渕ソングにはね、「俺たちのニライカナイ」っていう琉球地方の理想郷をテーマにした歌もあるんですよ!」 司会者「そんなムリクリ木村先生の興味ありそうな方向に引っ張っていってもムリだよ!」 kenzee「なんで長渕音楽の素晴らしさがマトモに語られないのかというと、結局ジャーナリズムの側が長渕ズムに引っ張られちゃうのね。結果、「俺は長渕を聴いて魂を震わされた。人間の、人生の、男のナントカだ!」みたいな精神論でまとめて終わりだったりするわけです。しかし、ボクの目から見るとその手の音楽ライターはサボってるようにしか見えません」 司会者「音楽の話をしろ、と」 kenzee「ボク、結構冗談抜きで長渕ファンですけど長渕の魂とか興味ないですもん。私が言いたいのは「長渕は時々

    ソフトロックとしての長渕(オマケ) - kenzee観光第二レジャービル
    Midas
    Midas 2010/12/27
  • 浜崎歌詞に「ケータイ」が登場しないという事実を我々は決して忘れてはならない - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「浜崎あゆみ「Rock'n Roll Circus」vs「to LOVE」問題に移る前に、前から思っていた素朴な疑問を呈してみたい。速水さんが再三、の中で述べているように浜崎の音楽とケータイ文化は密接にかかわっており、二人三脚でこのゼロ年代を駆け抜けた。そのワリには浜崎の歌詞にはケータイが登場しないのだ。たとえば恋人から着信があってうれしいとか一日たってもメールが返ってこない寂しい、とかそういう描写は浜崎ソングには一切ない」 司会者「「何回かけても繋がんないんだけどー」「ゴメーン地下街歩いてたんで電波入んなかったんじゃないかニャー」「最近の地下街余裕で電波入るわヴォケ!」とかそういうリリックがあってもよさそうですが浜崎にはそういうケータイ的なコミュニケーションがまったく描かれてこなかった。これはどうしてだろう?」 kenzee「たとえば浜崎は2001年ごろ、ツーカーのイメージ

    浜崎歌詞に「ケータイ」が登場しないという事実を我々は決して忘れてはならない - kenzee観光第二レジャービル
    Midas
    Midas 2010/09/10
    それは販売ルートが違うから。浜崎はCD。西野はDL。「シーンメイキング」は正確な社会学用語では「ファッションアイテム(特定場面における情報選択と身振りの学習機能)」西野は環境音楽だから西野のご先祖はKLFやORB
  • ゼロ年代、製作現場ではなにがおこっていたか?(J-POP論最終回): 文芸誌をナナメに読むブログ(書評)

    司会者「で、中田ヤスタカサウンドがホントにスカスカなのかの検証に入っていきたいんですけども」 kenzee「例の座談会でどういう流れで三輪祐也氏のスカスカ発言が登場したか。まず90年代のDJ文化以降、ロキノン型の「ロックという物語」の批評は無効となった。代わりにキャラクターベースの自分語りが台頭している、と。それが現在のPerfume、相対性理論の消費に繋がっていると。だが、実際のPerfumeの受容のされ方とは30代、40代のオッサン連中、つまり団塊ジュニアのありがちな「あえてベタに」って回路であって世間で話題になってるほど若者は飛びついていない、という宇野さんの指摘がでてくる。で、事実Perfumeのサウンドは従来のアイドルポップのサウンドとは明らかに一線を画す、個性的なものなのでオッサン連中としても「これだけうまく自分を萌えさせる中田の手腕にうなる」とかメタ視線をちらつかせられる」

    Midas
    Midas 2009/09/15
    これは偽の対立だと思う。解決策は別の所に既にある。例「『スーン』も『トゥ・ヒァ・ノウズ・ホエン』もモノラルで録音した。ステレオセパレーションや空間構築は大企業的な脆弱な音でしかない。大事なのは周波数」
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