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ブックマーク / www.nippon.com (6)

  • 悪化する日本の「貧困率」

    経済規模で世界第3位の日。物質的には豊かで平等な社会と言われてきた。しかし、国民の多くが「中流家庭」と自認していたのは、ひと昔以上も前の話。今や所得格差の拡大やワーキングプアの出現などを背景に、日の「貧困率」は世界的に見ても高い 日人の6人に1人が「貧困層」貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得(※1)の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」(※2)は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。 これは、日人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、

    悪化する日本の「貧困率」
    Mitsunori
    Mitsunori 2014/08/29
    “日本人の6人に1人が「貧困層」”
  • 日本人と宗教―「無宗教」と「宗教のようなもの」

    しばしば、日人は無宗教といわれるが、実際はどうなのか。「宗教のようなもの」という観点から、日人と宗教の関わりを読み解く。 大きな反響を呼んだ『日人はなぜ無宗教なのか』1996年に宗教学者・阿満利麿(あま・としまろ)氏が『日人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)というを出した。これは英語韓国語にも翻訳されるなど非常に大きな反響を呼んだ。阿満氏によると、日人は無宗教だと言われてはいるものの、それは「創唱宗教」と比較しているからではないかという。創唱宗教とは、特定の教祖がいて明確な教義を持つ宗教を指す。キリスト教にはイエス・キリストが、仏教にはゴータマ・ブッダが、イスラム教にはムハンマドという教祖がいる。他方、ヒンズー教や神道には特定の始祖がいない。また民間信仰にも特定の始祖は存在せず、いわば無名の人たちによって自然に実践されてきたものである。 日の宗教は創唱宗教から大きな影響を受

    日本人と宗教―「無宗教」と「宗教のようなもの」
    Mitsunori
    Mitsunori 2014/03/03
    なるほど
  • 日韓関係修復が難しい本当の理由

    注:朝鮮日報記事データベース(2011年2月4日時点) において、「日」という用語を含む記事全体の中で、どれだけの記事が歴史認識紛争や領土紛争に関わる「用語」を含むかを示した(100%=1.00)。 黄=最も割合の多い時期/青=それに続く4つの時期 (出典: Kimura Kan, “Discovery of Disputes: Collective Memories on Textbooks and Japanese-South Korean Relations,” Journal of Korean Studies, Volume 17, No.1, Spring 2012) だがそれが韓国における「反日」運動が盛り上がりを見せた結果かといえば、必ずしもそうではない。事実、「反日」デモへの参加者は、中長期的には減少する傾向を見せている。時に大規模な「反日」デモが行われる中国と異なり、

    日韓関係修復が難しい本当の理由
  • 春画はポルノにあらず

    精巧で色鮮やかな浮世絵は海外でも評価が高いが、実は当時の著名な浮世絵師の多くは、性風俗を描写した春画の制作にも携わっていた。大勢の来場者でにぎわう大英博物館の春画展を、英国在住のライター、トニー・マクニコルが取材した。 美とユーモアに溢れる浮世絵“春画” 蛤(はまぐり)に 嘴(はし)をしつかとはさまれて 鴫(しぎ)立ちかぬる 秋の夕ぐれ (宿屋飯盛) 大英博物館で開催されている特別展「春画 日美術における性とたのしみ」を眺めていると、春画を「ポルノ」と形容するのがいかに不適切かを思い知らされる。この特別展のキュレーターを務める大英博物館日セクション長のティム・クラーク氏はこう語る。「性を赤裸々に描いた作品に美とユーモアが溢れ、しかも人間性が伝わってくるので、みんな驚いたんじゃないかな」 春画展キュレーターのティム・クラーク氏 165点の展示作品の中でクラーク氏がとりわけ気に入っているの

    春画はポルノにあらず
  • 靖国神社と戦犯 合祀に至る道

    毎夏、「戦争犯罪人を祭る靖国神社を、日政治家たちが参拝」というニュースが論議をよぶ。なぜ神社が「犯罪人」を祀(まつ)るに至ったのか。「戦争犯罪人」とはどのような人たちなのか。『東京裁判』の著者である日暮吉延・帝京大学教授が解説。 国際問題化する首相の靖国参拝毎年、8月の暑い夏が近づくと、にわかに靖国神社がスポットライトを浴びる。首相や閣僚が終戦記念日に参拝するのか、また、すべきかどうか、と。 小泉純一郎首相が2001年から2006年まで靖国参拝を続け、これに近隣諸国が激しく反発したことは記憶に新しい。その経験があまりに強烈であったためか、「小泉後」に靖国に参拝した首相はいない。 小泉の説明によると、靖国参拝は不特定多数の戦没者に対する「哀悼、敬意及び感謝の気持ちを捧げる」ことが目的であり、過去の軍国主義を美化するものではない。しかし、毎年8月15日に政府が主催する全国戦没者追悼式は問題

    靖国神社と戦犯 合祀に至る道
    Mitsunori
    Mitsunori 2013/08/20
    A級戦犯の靖国合祀は、東京裁判を全面否定するための精神的政策であり、日本の過去の正義と正当性を訴える歴史認識に突き動かされた行動だったのである。
  • 日本の「戦没者慰霊」を問い直す

    明治初期の二つの内戦を契機として、日の戦没者慰霊の伝統は中央と地方の二分化の上に築かれてきた。日各地での戦没慰霊の実地調査を踏まえ、靖国神社の成り立ちの特殊性を検証する。 日の戦没者慰霊は、明治維新で斃(たお)れた勤王の志士の国事殉難者慰霊と、戊辰(ぼしん)戦争(※1)という内戦において藩主に従い出征し戦死した官軍方戦死者を君主(天皇および藩主)が慰霊する、という前近代的な「忠臣慰霊」が基となっている。従って、そこには(近代の国民国家における)「祖国」という論理はなかった。それが、日の戦没者慰霊問題の質的な矛盾となっていく。(※2) 大日帝国の戦没者慰霊―君主の忠臣慰霊最初の忠臣慰霊は、明治元年(1868年)京都東山で行われた、禁門の変(※3)と鳥羽伏見の戦い(※4)で斃(たお)れた薩摩・長州など、5藩の戦死者を祀(まつ)る招魂祭(しょうこんさい)からで、翌1869年、靖国神社

    日本の「戦没者慰霊」を問い直す
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