ブックマーク / www.vice.com (7)

  • Epicly Later'd アレックス・オルソン(Alex Olson)

    アレックス・オルソン。レジェンドスケーターの1人であるスティーブ・オルソン(Steve Orson)の息子。2005年にはガール、その後ラカイ、ナイキなど、ビッグスポンサーと契約。その後2013年にはガールを離れブライアン・アンダーソン(Brian Anderson)のインディペンデントなブランド、3Dに所属したのち、すぐに自身のブランド、ビアンカ・チャンドン、さらにはコール・ミー917を立ち上げる。 今回はアレックス・オルソンが2007年、初のスケートビデオ出演となったラカイの『フューリー・フレアド(Fully Flared)』に挑む姿に始まり、スポンサーに迎合しないスタイルを貫く姿勢などを迫う。そんなアレックス・オルソンを形成するに至った大きな存在、父であるスティーブ・オルソンとの対談にて、その破天荒な教育方針とユニークな親子関係にスポットを当てる。 学校教育を拒絶し、読み書きせずに生

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  • トランスジェンダー・タトゥーアーティストの魔術的世界観

    たいていのおとぎ話は、オオカミの里であり、魔女が住み、物の怪が跋扈する深い森への軽はずみな旅から始まる。ノエル・ロングホール(Noel’e Longhaul)のようなタトゥー・アーティストにとってウィルダネス(精神的荒野)は、交錯する「クイア」と「魔女」のアイデンティティ同様、未分化のソースからアートを生みだすための糸口でもある。古い子どものからはぎ取られたページのようなロングホールの作品のなかには、エドワード・ゴーリー(Edward Gorey)のイラストのような陰な優美さ、カラス、ねじれたつる、野生の花、肉獣など、民間伝承のなかに息衝く親しみ深い自然の図像が共存している。 マサチューセッツのグレート・フォールズをベースに活動する、25歳のアーティストでありミュージシャンであるロングホールは、数年を費やし、自身と友人にタトゥーを施しながらその技術を磨いた。ロングホールは、ロード・ア

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  • カール・クレイグのウチくる!? (行く、行く)

    デトロイトで知っておくべきすべての人を、カール・クレイグは知っている。それを目の当たりにしたのは、2016年5月のとてつもなく暑い日の午後。身体にぴったりとフィットしたブラックシャツと、レイバンのアビエーター型サングラスを丸刈りに乗せて現れた47歳のDJ/プロデューサーの好意で、私は貴重な経験をした。彼のキャリアにとって、そしてデトロイトのエレクトロニックミュージック・シーンにとって重要なスポットを、カール・クレイグ人が案内してくれたのだ。 デトロイトテクノ史の奥深くまで、クレイグの根は張り巡らされている。そのため彼は、車を降りるたびに友人やファンに囲まれ、にこやかに握手を交わすことになる。また、デトロイトテクノの最重要レーベルUnderground Resistanceの共同設立者マイク・バンクス(Mike Banks)とSubmerge* のオフィスで出くわすと、こっそり真剣な話もし

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  • ゴーストフェイス・キラが激怒してから1年‥‥‥ヤツは生きていた

    それは、2015年のホットな夏の出来事でした。太っちょで、ヒゲモジャで、オールウェイズべ盛りで、クマさんみたいに可愛いニューヨークのラッパー、アクション・ブロンソン(Action Bronson)が、ハッとして!グーパンチされちゃったような事件。いや、コンボイで吹っ飛ばされてブーされたくらいビビったでしょ、ブロンソンくんは。 その日、アクション・ブロンソンは、ESPNの番組『Sports Nation』に出演していました。番組内で、彼のラップスタイルが、ウータン・クランのゴーストフェイス・キラ(Ghostface Killah)のスタイルにとても良く似ていると、出演者に言及されました。 最初は、まぁ良かったんです。ゴーストフェイス・キラは、彼にとってもアイドルだったのですから。 「もう比較されてもなんともない。コカ・コーラだってペプッシーと比べられるし、人は何でも比較するだろ? 俺はあん

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  • 聖なるコカイン アマゾンでコカ栽培に勤しむペルーのセクト

    「アタウクーシたちは国境近くの新興麻薬王だ。私はこの目で見たんだ」ペルー、コロンビア、ブラジルの国境が交わる地域に向かい、アマゾン川を進むフェリーの上で、荷物係は教えてくれた。名前は教えてくれなかった。 アタウクーシとは、20世紀の預言者エゼキエル・アタウクーシ(Ezequiel Ataucusi)を信奉する、原理主義的宗教組織である。信徒たちは、旧約聖書の出エジプト記を描いたスペクタクル、『十戒(The Ten Commandment)』(1956)の衣装のような出で立ちで暮らしている。 アタウクーシは、アマゾン盆地の所有権を神から授かった、と主張しており、ペルーは来たるべき終末を生き抜いたのち、インカ帝国の伝統を引き継ぐ新たなイスラエルとなり、ジャングルのど真ん中に大農場を切り拓く、と信じている。 「彼らは武装し、農地を守ろうとしている」と荷物係は主張した。「人目を忍んで豪邸を建ててい

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  • スタンリー・キューブリックの 右腕として生きた30年間

    Emilio D'Alessandro (left) with Stanley Kubrick. Photo courtesy of SkyHorse/Arcade Publishing スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督の死後、もうすぐ20年が経とうとしている。彼は、20世紀の傑作と評価される数々の作品を創りだした、ハリウッド有数の敬愛される映画監督だ。デヴィッド・フィンチャー(David Fincher)、ニコラス・ウィンディング・レフン(Nicolas Winding Refn)など、キューブリックの影響を受けた監督も後を絶たない。だが、キューブリックには未だに謎が多い。周囲からは引き籠りだと思われ、人生のほとんどをハリウッドの外で過ごし、飛行機に乗りたくないため、撮影のほとんどをイギリスやその周辺で済ませるような映画監督だった。 エミリオ・ダレッサンド

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  • ライアン・マッギンレーより、若き写真家たちへ贈る言葉。

    アメリカを代表する写真家・ライアン・マッギンレーがパーソンズ美術大学(脚注①)の卒業式にて行ったスピーチが素晴らしいと話題になっている。彼を知らない人のために、まずは経歴から紹介しよう。同大学でグラフィック・デザインを学んでいる時から写真撮影に魅了されたライアンは、2003年、若干25歳にして初の個展をホイットニー美術館(脚注②)にて開催。 2007年には国際写真センター(脚注③)が「今年最も活躍した若手写真家」としてライアンの名をあげた。以来、彼は「アメリカで最も重要な写真家」や、「ダウンタウンのアートにおける”ハーメルンの笛吹き”」とも呼ばれている。 以下はライアンのスピーチより抜粋した珠玉の言葉集だ。若くして上記のような輝かしい経歴を持つライアンからの、 貴重なエール。これからを担う若き写真家の君たちには、有用なキャリアアドバイスになることだろう。是非熟読して欲しいと思う。 「4年生

    ライアン・マッギンレーより、若き写真家たちへ贈る言葉。
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