それが「三年殺し」になるのか「七年殺し」になるのかは判らないが、東京の展覧会巡りで相当の距離を歩いたので、これを書いている身体の疲労はピークに達している。 1990年代以降の東京の展覧会巡りは歩く事こそを強いられる。東京のギャラリーの分布は、1980年代までのそれに比べて相対的にバラけたものであり、加えて公共交通の網の目の中心部分に位置するものが多い。更に東京の地形は「日本坂道学会」が形成されたり「全力坂」というテレビ番組が成立する程に起伏に富む。平坦な地形に「人工/体系」的に「設計/構築」された町の数え歌は「まるたけえびす」や「てらごこ」であり、それが今でも当地の住人の脳内GPSに於ける「座標系」の役割を果たしているが、一方で自然(地形)と人間(移動体)との相関で形成される「坂」という「道」は、「人工/体系」的「座標系」としての「道」とは異なり、配列的変数を条件とする数え歌の成立自体を拒