タグ

ブックマーク / www.dwc.doshisha.ac.jp (3)

  • 右と左の話

    吉海 直人(日語日文学科 特任教授) よく日では、昔は左が上位で右が下位だったといわれています。それに対して古代中国(漢)では右が上位だったといわれています。その名残が「左遷」という言葉です。右から左に遷されることが大きなマイナスだったからです。もっとも中国でも、唐の時代には左上位に変わっており、それが日にもたらされたとも考えられます。 実は左が上位になったのは、争いごとがなかったからだという説もあります。というのも、もともと左右に差はなかったのですが、左は文官・右は武官と別れていたため、戦争があると右の武官が重視されることで右が上位になり、平和な時代になると逆に左の文官が上位になるというわけです。平安時代の日は平和だったので、左上位になったというわけです。 なお西洋ではというか、世界的にはやはり右が上位でした。「右に出るものはいない」や「右に同じ」という慣用句は、そこから来てい

    右と左の話
    MyPLB
    MyPLB 2019/09/04
  • 新元号「令和」の出典について

    吉海 直人(日語日文学科 特任教授) 新元号「令和」の出典は『万葉集』と報道されました。そのため発表直後から、書店の『万葉集』(特に巻五)が飛ぶように売れているとのことです。中には『万葉集』と聞いて、「令和」を和歌の一節だと勘違いしている人もいるようですね。そこで出典について、きちんと確認しておくことにしました。 もちろん出典は和歌の一節ではありません。「令」は和歌に馴染まない言葉です。しかも『万葉集』には、和歌以外の文章も含まれています。『万葉集』815番の前にある「梅花歌三十二首幷序」がそれです。冒頭部分には、 天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香、 云々と漢文体で記されています。これを見ると帥として大宰府に赴任していた大伴旅人(66歳)の邸で、梅花の宴が開催されました。そこで歌われた「梅花の歌32首」の序として書かれた部

    新元号「令和」の出典について
    MyPLB
    MyPLB 2019/04/16
    232
  • 「春はあけぼの」を読み解く|表象文化学部|教員によるコラム|同志社女子大学

    京田辺キャンパス〒610-0395 京都府京田辺市興戸 今出川キャンパス〒602-0893 京都市上京区今出川通寺町西入

    「春はあけぼの」を読み解く|表象文化学部|教員によるコラム|同志社女子大学
  • 1