2008年8月3日のブックマーク (4件)

  • 計画ずさん、渋滞呼ぶ 国道10号仙巌園前交差点移設 : 南日本新聞−鹿児島県内ニュース

    渋滞解消策として交差点が移設された後も渋滞が続く鹿児島市吉野町の国道10号仙巌園前の問題で、国土交通省鹿児島国道事務所が、計画段階で交差点移設後の新たな渋滞を予測しながら、具体的な対策を取らないまま着工していたことが、南日新聞の2日までの取材で分かった。  同事務所の上谷文夫交通対策課長は「実際に走り出すと、うまく流れるのではという甘い認識があった」と説明、「残る舗装工事などが完了する9月までに信号調整などで渋滞緩和を図りたい」としている。  新しい交差点は仙巌園前から鹿児島市街地寄りに70メートル移設。姶良方面から祇園之洲方面に向かう市道の一部を一方通行の左折専用レーンとした。総事業費は約4億円。  同事務所によると、左折専用レーン手前まで信号待ちする直進車が並ぶため、左折車がスムーズにレーンに入れないことが渋滞を引き起こしている主な原因だという。  同事務所は当初、停止位置を現在の場

    NATROM
    NATROM 2008/08/03
    渋滞を緩和することが目的なのではなく、工事をすることが目的だった。
  • Liber Studiorum: 福岡伸一と「嫌論権」(1)

    この福岡伸一批判も、いよいよ最終コーナーである。 最後に、福岡伸一という「科学者」の質がはっきりと現れていると私が考えている文章を紹介したいと思う。 「ソトコト」2004.6月号から、全文を引用する。あなたは遺伝子組み換え品を選びますか?クローン牛のステーキをべますか?サプリメントを飲みますか?臓器移植ドナーカードに署名しますか?ガン宣告を受けたらどのような治療を望みますか? 最先端テクノロジーという名のビヒモスは、かつての宇宙開発や原子力といった重厚長大な外部ターゲットから、人間の奥深い内側の版図へとその解像力を格段に上昇させながら、急旋回して切り込んできた。これにともなって、人間とテクノロジーとの接点のレベルが確実に個人の領域に降りてきている。村に原発が来るかどうかという関心は今、どのようなライフスタイルを選択するか、という問いに置き換えられつつあるのだ。     私たちは確かに

    NATROM
    NATROM 2008/08/03
    「専門家は臓器移植が唯一の延命法でないことを知っている。専門家は侵襲的な処置を何もしないほうがガン患者とって幸福であることを知っている。それを言わないのが職業上の倫理感だ」。
  • 匿名さんは「誰が言ったか」に過剰に拘る - la_causette

    匿名ブロガー、匿名コメンテーターさんたちは、むしろ「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自分について「誰」という情報を秘匿することに過剰に拘るのでしょうし、「誰が言ったか」が重視される場合に一般に信頼度を増す方向で働く属性を持っている人が「誰」という情報を秘匿しないことについて強いネガティブ感情を有するのでしょう(mixiにおいて原則実名主義が採用されることに対する彼らの嫌悪感の泉源はそこにあるのでしょう。mixiユーザーの安全性に配慮するのであれば、むしろ、mixiに対し「人確認の強化」を訴えるはずですから。mixiの来的用法を考えると、「実名探し」を回避するために個人特定情報をアップロードしないという選択肢の方が異常なのだし。)。また、「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自己の属性を詐称したりするのでしょう。 「誰が言ったか」をどれだけ重視するかは読み手の選択の問題なので、話し手

    匿名さんは「誰が言ったか」に過剰に拘る - la_causette
    NATROM
    NATROM 2008/08/03
    誰が言ったかは重要だろ。過去に一貫したハンドルネームで信頼できる発言をしてきた人は「匿名」ではないよ。HNの信用を傷つけたくないから、信頼できる発言を心がけるのだ。
  • 一人の少女を不幸から救い出す手助けができるのであれば、過去の言動との整合性などどうでもよいではないか - la_causette

    音羽さんの件でもそうだし、松永さんの件でもそうなのですが、匿名の陰に隠れないと言いたいことも言えない人たちは、どうも他人の過去にこだわりすぎなのではないかと思えてなりません。「誰が言ったかは重要ではない。内容が重要なのだ」というのならば、それを語った人の過去の発言やら過去の行動などというものを重視するのはおかしいと言うことになります。さらにいうならば、その人が同時並行的に別の場所で語っていることすらその発言を評価する上での要素に加えることはおかしいとすら言えます。 私たちは、人間らしく生きていこうとすれば、言動の一貫性にそれほど拘ってなどいられません。私たちは、誤りも犯すし、成長もする。抽象的な理念を犠牲にしても実現を目指さなければならない現実だってある。現実社会の中で、現実社会をよりよくしていくために具体的に活動しようと思えば、君子豹変しなければならないのです。 翻って、ネット上で他人の

    一人の少女を不幸から救い出す手助けができるのであれば、過去の言動との整合性などどうでもよいではないか - la_causette
    NATROM
    NATROM 2008/08/03
    「私たちは、人間らしく生きていこうとすれば、言動の一貫性にそれほど拘ってなどいられません。私たちは、誤りも犯すし、成長もする」。こんな香ばしい発言があったのか。過去に誤りがあれば撤回すればいいだけだろ